ピナ・バウシュの「夢の教室」を見にいかなくちゃ、と思っていたのですが、この「踊り続ける命」は3Dなのでまずこっちを是非とも劇場で見たいと思いました。
お気に入りの映画館である新宿バルト9では既にレイトショーになっていたので、池袋まで頑張って行きました。(何故頑張ってかというと、私は池袋駅が何故か意味なくコワイのです^^;)
行ってみたらこの日は1日で映画の日、3Dも1400円で何だかラッキーでした。
それで、舞台やダンスものを3Dで、、ってちょっと未知な感覚への期待があったのですが、これは!ちょっとアナタ!これは・・!!
踊りや舞台の好きな人にとっては3Dとはこのために実はあったのだろう!!と思わせる臨場感、いやそれ以上の映像表現だと思いました。
つまり、劇場の最前列以上のものを見せているからです。
ピナについてほとんど知らなかった私ですが、これをヴィム・ヴェンダース監督が撮ったことも、夢の共演とでもいうべきかもしれません。
ヴィム・ヴェンダースは、私の最愛のアーティストであるライ・クーダーが音楽を担当している「パリ・テキサス」そして、ライの南米での決定版ともいえる「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」の監督でもあり、私は彼の世界が好きなのです。
その彼が映し出したピナの魂の世界、それはちょっと凄かったです。
そこには、人工的に作られた、美しいけど死んだような感じのするもはない。
ナマの身体表現の中に、ヒトが通常言葉と体で表現できる以上の何かを突きつけてくる迫力がありました。
それはまるで
「あなた達は、《生》ということがどんなものか、本当に分かっているの?
それがどんなに美しいかを」
と、問いつめられているかのようでした。
ピナは、ダンサー達に常に、魂の底から問いかけたといいます。
「本当に求めているものは、何なの?」
と。
ピナは、土、砂、水、石 といったものにこだわったといいます。
そんな踊りにくいものを舞台に招き入れて踊るのです。
芸術家の中には、本当はもう突き抜けた星から地上にやってきて、
人々に、
「突き抜ける」
とはどういうことなのか、教える立場の人がいるように思うのです。
そして、Pinaは、そんな一握りの芸術家の一人のように思えたのです。
ヴィム・ヴェンダースの、時間と空間を越えた感覚と、Pinaのこの身体言語を越えた表現の世界が、まさに夢の映像世界をつくっていると感じました。
各界から絶賛されたというのもうなずけますが、一般の人にはそこまでウケないのか、映画館はそんなに混んでなかったです(^^;
ちなみに坂本龍一氏は
「ぼくはずっと泣いていました」
と感想を述べています。
一つも泣くようなストーリーも場面もないのですが、私も泣きました。
何で泣くのか分からないほどに、涙が出てきてしまったのです。
これを究極の身体言語といわずに、何と呼ぶでしょうか。
ちょっと凄かったです・・。
Pinaは、2009年に急逝しているのですが
ダンサーの一人が語る中に、
「大野一雄氏も亡くなってまだ間もない。彼とPinaは、今雲の上で飛び回っているのかなと思う」
というようなコメントをしていたのが、印象的でした。
ピナ・バウシュの「夢の教室」を見にいかなくちゃ、と思っていたのですが、この「踊り続ける命」は3Dなのでまずこっちを是非とも劇場で見たいと思いました。
お気に入りの映画館である新宿バルト9では既にレイトショーになっていたので、池袋まで頑張って行きました。(何故頑張ってかというと、私は池袋駅が何故か意味なくコワイのです^^;)
行ってみたらこの日は1日で映画の日、3Dも1400円で何だかラッキーでした。
それで、舞台やダンスものを3Dで、、ってちょっと未知な感覚への期待があったのですが、これは!ちょっとアナタ!これは・・!!
踊りや舞台の好きな人にとっては3Dとはこのために実はあったのだろう!!と思わせる臨場感、いやそれ以上の映像表現だと思いました。
つまり、劇場の最前列以上のものを見せているからです。
ピナについてほとんど知らなかった私ですが、これをヴィム・ヴェンダース監督が撮ったことも、夢の共演とでもいうべきかもしれません。
ヴィム・ヴェンダースは、私の最愛のアーティストであるライ・クーダーが音楽を担当している「パリ・テキサス」そして、ライの南米での決定版ともいえる「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」の監督でもあり、私は彼の世界が好きなのです。
その彼が映し出したピナの魂の世界、それはちょっと凄かったです。
そこには、人工的に作られた、美しいけど死んだような感じのするもはない。
ナマの身体表現の中に、ヒトが通常言葉と体で表現できる以上の何かを突きつけてくる迫力がありました。
それはまるで
「あなた達は、《生》ということがどんなものか、本当に分かっているの?
それがどんなに美しいかを」
と、問いつめられているかのようでした。
ピナは、ダンサー達に常に、魂の底から問いかけたといいます。
「本当に求めているものは、何なの?」
と。
ピナは、土、砂、水、石 といったものにこだわったといいます。
そんな踊りにくいものを舞台に招き入れて踊るのです。
芸術家の中には、本当はもう突き抜けた星から地上にやってきて、
人々に、
「突き抜ける」
とはどういうことなのか、教える立場の人がいるように思うのです。
そして、Pinaは、そんな一握りの芸術家の一人のように思えたのです。
ヴィム・ヴェンダースの、時間と空間を越えた感覚と、Pinaのこの身体言語を越えた表現の世界が、まさに夢の映像世界をつくっていると感じました。
各界から絶賛されたというのもうなずけますが、一般の人にはそこまでウケないのか、映画館はそんなに混んでなかったです(^^;
ちなみに坂本龍一氏は
「ぼくはずっと泣いていました」
と感想を述べています。
一つも泣くようなストーリーも場面もないのですが、私も泣きました。
何で泣くのか分からないほどに、涙が出てきてしまったのです。
これを究極の身体言語といわずに、何と呼ぶでしょうか。
ちょっと凄かったです・・。
Pinaは、2009年に急逝しているのですが
ダンサーの一人が語る中に、
「大野一雄氏も亡くなってまだ間もない。彼とPinaは、今雲の上で飛び回っているのかなと思う」
というようなコメントをしていたのが、印象的でした。