今日帰国されたブータン国王夫妻が、訪日中日本各地で歓迎されて素敵な話題を提供してくれましたが、中でも国会でのスピーチが素晴らしかったのと、金閣寺でのエピソードが素敵でした。

雨の京都を夫妻で和傘で歩かれ、金閣寺で住職と一緒に撮影をする際、住職が一瞬雨に濡れた状態になった時、国王がさっと住職の肩を抱かれて傘を差し掛けられた様子がニュースにもなっていました。

その時のことを住職は

「びっくりしました。

やさしい王様だなぁと思いました。」

と語っていましたが、私はこの

《やさしい王様》

という言葉に何だか癒されてしまいました。

それはまるで、私たちを魔法の呪文のように一瞬にして《夢の国》にトリップさせてくれるかのように響いてきました。

私たちの地球上には、まだこんな

《やさしい王様》

が生息(?)しているなんて、何だかとっても素敵じゃありませんか?

さらにはお優しいだけでなく、国会でのあの演説を聞きましたか?

31歳という若さながら、あの威厳と清らかさ、そして何しろ演説内容の素晴らしさです。
私は全文を読んで感動に涙しました。

全文はこちらで読むことができます:

http://getnews.jp/archives/152497

中でも多くの日本人に感動を与えたのは、下記の部分ではないでしょうか。

「私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。

いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。
しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。
私はそう確信しています。

国王のスピーチを聞く間、国会議員の皆さんの頭頂から脊髄に沿って、エネルギーがさ~っと清まるのを皆さんご覧になりましたか?
一瞬でも感動的な光景でした。

この「日本でなければ、この教訓を世界に伝える役割には耐えられなかったであろう。」

とする考え方は、スピリチュアルな人たちの間ではよく言われる事ですが、この事を高いスピリチュアリティをもつ国ブータン国王から、日本の国会議員の皆さんへのメッセージを通し、国民全体へと伝えられた事にさらなる感動を覚えます。

もちろん一国の国王が海外でする演説を、国王お一人で考えるなどあり得ませんが、それでも国王自身の魂のこもった演説だったことは、聞いた人誰もが感じたことと思います。

そしてそこには、ブータン前国王やこの幸福の国の住民たちが忘れずに持っている心の幸せ、彼らを導く聖なるスピリットたち、ヒマラヤの清らかで高い波動が後ろ盾となって存在していることも感じました。

ブータンという国の素晴らしさを私が初めてきいたエピソードはアメブロのこちらの記事にちらっと書いてありますが、あの時の彼女が語っていた意味合いを、20年近くもたってから実感した気がします。

加えて感じたのはやはり、教育というものの大切さでしょうか。

今のブータン国王のお父上である前国王が素晴らしい人だったらしく、「国民総幸福量」という概念や自国のあり方について明確な考え方を持ち、それに基づいて教育されたのが今の国王とのこと。

イギリスでも教育を受けられたとのことで、(まぁそれは日本の皇太子さまも同じなのですが)その堂々としたスピーチぶりからもその成果が伺えるというものです。

けれども教育というのは、実は親や環境によって制限されてしまうものばかりではないのです。

実は魂の願いに応じて私たちは

「宇宙からの教育」

を受けることができるのです。

これに関して、私は自分自身の過去生やキリスト教育、仏教、禅、ヨーガスートラのサーンキヤ哲学やニューエイジなどの教えを通して学んだ事、そしてそれら全てが表現や手法は違えど、その真髄では同じことを教えていること、その気づきへの経緯を先ほど書き綴ったのですが、長過ぎたのか消えてしまいました(^^;

ですので、かつて子供だった頃、通っていたキリスト教会の牧師婦人が私に伝えてくれた言葉のみ記させてください。

「世の中に素晴らしい《教え》は沢山あります。

でも、《教え》はあなたを救ってはくれない。

《体験》だけがあなたを救うことができるのよ」

この言葉は常に私と共にありました。

この言葉は真実であると知っている、という感覚とともに。

牧師婦人が《体験》という言葉を使った意図は、より狭い

「キリストとの出会いという体験」

という意味だったかもしれない。

でもそれはどうでも構わないのです。

「キリストとの出会い」はもっと広義では、仏教にも禅にもヨーガにも日本神道にもニューエイジにもあり、宗教をいっさい超えたところにもあり、誰にもその目覚めへの道は開かれている。

それを私は

「宇宙の教育」

と呼んでいるのです。

それは求めれば誰にも開かれると同時に

求めないと開かれることはありません。

その人に一番適した教育が存在していて、だからこそこんなにも多種多様な個性と手段が存在しているのですね。

これを思うとき、宇宙の無限の愛に感服せざるを得ません。

なぜならばそれは、あなたにも、私にも、誰にも平等に、その道は開かれている

ということだからです。

この宇宙の素晴らしい教育システムを、これからも謙虚な気持ちで最大限に享受していきたいと思います。

今日の日記へインスピレーションを与えてくれた、ブータン国王夫妻の訪日とその国の背後にあるヒマラヤの、清らかで叡智に満ちたスピリットに感謝を捧げます。

合掌

 

 

アメブロも日々更新中!

 

今日帰国されたブータン国王夫妻が、訪日中日本各地で歓迎されて素敵な話題を提供してくれましたが、中でも国会でのスピーチが素晴らしかったのと、金閣寺でのエピソードが素敵でした。

雨の京都を夫妻で和傘で歩かれ、金閣寺で住職と一緒に撮影をする際、住職が一瞬雨に濡れた状態になった時、国王がさっと住職の肩を抱かれて傘を差し掛けられた様子がニュースにもなっていました。

その時のことを住職は

「びっくりしました。

やさしい王様だなぁと思いました。」

と語っていましたが、私はこの

《やさしい王様》

という言葉に何だか癒されてしまいました。

それはまるで、私たちを魔法の呪文のように一瞬にして《夢の国》にトリップさせてくれるかのように響いてきました。

私たちの地球上には、まだこんな

《やさしい王様》

が生息(?)しているなんて、何だかとっても素敵じゃありませんか?

さらにはお優しいだけでなく、国会でのあの演説を聞きましたか?

31歳という若さながら、あの威厳と清らかさ、そして何しろ演説内容の素晴らしさです。
私は全文を読んで感動に涙しました。

全文はこちらで読むことができます:

http://getnews.jp/archives/152497

中でも多くの日本人に感動を与えたのは、下記の部分ではないでしょうか。

「私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。

いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。
しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。
私はそう確信しています。

国王のスピーチを聞く間、国会議員の皆さんの頭頂から脊髄に沿って、エネルギーがさ~っと清まるのを皆さんご覧になりましたか?
一瞬でも感動的な光景でした。

この「日本でなければ、この教訓を世界に伝える役割には耐えられなかったであろう。」

とする考え方は、スピリチュアルな人たちの間ではよく言われる事ですが、この事を高いスピリチュアリティをもつ国ブータン国王から、日本の国会議員の皆さんへのメッセージを通し、国民全体へと伝えられた事にさらなる感動を覚えます。

もちろん一国の国王が海外でする演説を、国王お一人で考えるなどあり得ませんが、それでも国王自身の魂のこもった演説だったことは、聞いた人誰もが感じたことと思います。

そしてそこには、ブータン前国王やこの幸福の国の住民たちが忘れずに持っている心の幸せ、彼らを導く聖なるスピリットたち、ヒマラヤの清らかで高い波動が後ろ盾となって存在していることも感じました。

ブータンという国の素晴らしさを私が初めてきいたエピソードはアメブロのこちらの記事にちらっと書いてありますが、あの時の彼女が語っていた意味合いを、20年近くもたってから実感した気がします。

加えて感じたのはやはり、教育というものの大切さでしょうか。

今のブータン国王のお父上である前国王が素晴らしい人だったらしく、「国民総幸福量」という概念や自国のあり方について明確な考え方を持ち、それに基づいて教育されたのが今の国王とのこと。

イギリスでも教育を受けられたとのことで、(まぁそれは日本の皇太子さまも同じなのですが)その堂々としたスピーチぶりからもその成果が伺えるというものです。

けれども教育というのは、実は親や環境によって制限されてしまうものばかりではないのです。

実は魂の願いに応じて私たちは

「宇宙からの教育」

を受けることができるのです。

これに関して、私は自分自身の過去生やキリスト教育、仏教、禅、ヨーガスートラのサーンキヤ哲学やニューエイジなどの教えを通して学んだ事、そしてそれら全てが表現や手法は違えど、その真髄では同じことを教えていること、その気づきへの経緯を先ほど書き綴ったのですが、長過ぎたのか消えてしまいました(^^;

ですので、かつて子供だった頃、通っていたキリスト教会の牧師婦人が私に伝えてくれた言葉のみ記させてください。

「世の中に素晴らしい《教え》は沢山あります。

でも、《教え》はあなたを救ってはくれない。

《体験》だけがあなたを救うことができるのよ」

この言葉は常に私と共にありました。

この言葉は真実であると知っている、という感覚とともに。

牧師婦人が《体験》という言葉を使った意図は、より狭い

「キリストとの出会いという体験」

という意味だったかもしれない。

でもそれはどうでも構わないのです。

「キリストとの出会い」はもっと広義では、仏教にも禅にもヨーガにも日本神道にもニューエイジにもあり、宗教をいっさい超えたところにもあり、誰にもその目覚めへの道は開かれている。

それを私は

「宇宙の教育」

と呼んでいるのです。

それは求めれば誰にも開かれると同時に

求めないと開かれることはありません。

その人に一番適した教育が存在していて、だからこそこんなにも多種多様な個性と手段が存在しているのですね。

これを思うとき、宇宙の無限の愛に感服せざるを得ません。

なぜならばそれは、あなたにも、私にも、誰にも平等に、その道は開かれている

ということだからです。

この宇宙の素晴らしい教育システムを、これからも謙虚な気持ちで最大限に享受していきたいと思います。

今日の日記へインスピレーションを与えてくれた、ブータン国王夫妻の訪日とその国の背後にあるヒマラヤの、清らかで叡智に満ちたスピリットに感謝を捧げます。

合掌

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