ヨガの教典である「ヨーガスートラ」の勉強会に通いはじめてもう5年以上が経つでしょうか。1ヶ月に一度なのですが、週末の開催になってから仕事と重なったり、去年はあれこれ忙しくてなかなか参加できなかったのですが、サンスクリット語のマントラを唱え、スートラを学ぶ時間の清らかで平和な美しい時間は、何物にも代え難い貴重で幸せなひとときです。
ヨーガスートラは1章~4章まであり、現在は4章の23節あたりまで進んだので、終わりまであと10節程を残すのみなのが何だかさみしいです。
先週は、このヨーガスートラの勉強会の後、参加者の中から希望があったとのことでキールタンの時間がもたれ、私も生まれてはじめてキールタンに参加しました。
キールタンというのは、「歌い」です。
バクティーヨーガ(信愛のヨーガ)の手法で、マントラに簡単なメロディーをつけて歌うのですが、コール・アンド・レスポンス(初めに一人が一節を歌い、次に参加者が歌う)方式で、順番にリーダーを交替しながら歌っていきます。
参加者の中にはインドフリークさんも多く、しかも純粋にヨガの精神を学んでいる人も多いので、本場のキールタンの風を運んでくれます。
歌っているうちに、あのインドの甘~いお菓子の香りがしてきたのは、気のせいでしょうか(笑)
バクティーヨガの手法ですから、ひたすら神への愛を歌います。
賛美歌のようなものでしょうか。でも神といっても本当は、どこか遠くにいるのではなく、私の中に、あなたの中に、すべての命の中に内在する神。そのことを思い出すために歌う神への愛です。
マントラのエネルギーが呼応する歌いによって増幅され、その場に大きなエネルギーフィールドができます。キールタンのこの感じは初めて体験しましたが、涙が出そうでした。もちろん魂の喜びの涙です。
天から降りてくる神聖なエネルギーが体を包んでいくのを味わいました。
順番に歌いをリードする人がいて、その時にその方の目覚めのプロセスが歌にのるのです(と、これは私の個人的感覚ですが)。なので、それがまた声のバイブレーションに乗って他の参加者の浄化を助け、気づきを増していくのです。その感じがまた素敵!
しかも、一言もそういういきさつのシェアや言葉での複雑な交流はなく、ただただシンプルに神の名を称えて皆で上がっていく感じが何とも美しく、素晴らしく優れた手法だと感じました。
ヨガの抱一先生が、さまざまな貴重な資料を和訳してくださるので、私達はとても素敵な言葉に触れることができます。
ヨガの偉大な師、スワミ・シヴァナンダがサンキールタン・ヨーガに関して書いた一説を先生が紹介してくださったので、ここに転載します:
「サンキールタン・ヨーガは、この時代に神の悟りに到達するための、最も簡単で、確実で、迅速で、安全で、安価で、最良の方法だ。
人々は今日、厳格な苦行の実践はできない。
人々はハタ・ヨーガの実践を行なう強い意志を持っていない。
人々は生涯にわたる完全な純潔(ブラフマチャリヤ)を維持できない。
人々はラージャ・ヨーガのための必要条件を持っていない。
人々は、ギャーナ・ヨーガまたはヴェーダーンタ・サーダナに必要な鋭い知性を与えられていない。
しかし、このサンキールタン・ヨーガ、つまり神の名前を歌うヨーガは全ての方法に拠る達成の範囲にまで及ぶ。」
昔から、人々は文字は読めなくても、歌をうたっていました。
辛い時も、嬉しい時も、仕事の時もお祭りやお祝いの時も、いつも歌っていました。
歌と踊りは人間とともにいつもあって、いつも私たちに真髄の気づきと喜びをもたらしてくれます。
だからきっと、人間はまた、歌いながら究極の歓びに至ることが出来るのでしょう。
まさに宇宙の無限なる愛の力、シャクティそのものですね。
ヨガの教典である「ヨーガスートラ」の勉強会に通いはじめてもう5年以上が経つでしょうか。1ヶ月に一度なのですが、週末の開催になってから仕事と重なったり、去年はあれこれ忙しくてなかなか参加できなかったのですが、サンスクリット語のマントラを唱え、スートラを学ぶ時間の清らかで平和な美しい時間は、何物にも代え難い貴重で幸せなひとときです。
ヨーガスートラは1章~4章まであり、現在は4章の23節あたりまで進んだので、終わりまであと10節程を残すのみなのが何だかさみしいです。
先週は、このヨーガスートラの勉強会の後、参加者の中から希望があったとのことでキールタンの時間がもたれ、私も生まれてはじめてキールタンに参加しました。
キールタンというのは、「歌い」です。
バクティーヨーガ(信愛のヨーガ)の手法で、マントラに簡単なメロディーをつけて歌うのですが、コール・アンド・レスポンス(初めに一人が一節を歌い、次に参加者が歌う)方式で、順番にリーダーを交替しながら歌っていきます。
参加者の中にはインドフリークさんも多く、しかも純粋にヨガの精神を学んでいる人も多いので、本場のキールタンの風を運んでくれます。
歌っているうちに、あのインドの甘~いお菓子の香りがしてきたのは、気のせいでしょうか(笑)
バクティーヨガの手法ですから、ひたすら神への愛を歌います。
賛美歌のようなものでしょうか。でも神といっても本当は、どこか遠くにいるのではなく、私の中に、あなたの中に、すべての命の中に内在する神。そのことを思い出すために歌う神への愛です。
マントラのエネルギーが呼応する歌いによって増幅され、その場に大きなエネルギーフィールドができます。キールタンのこの感じは初めて体験しましたが、涙が出そうでした。もちろん魂の喜びの涙です。
天から降りてくる神聖なエネルギーが体を包んでいくのを味わいました。
順番に歌いをリードする人がいて、その時にその方の目覚めのプロセスが歌にのるのです(と、これは私の個人的感覚ですが)。なので、それがまた声のバイブレーションに乗って他の参加者の浄化を助け、気づきを増していくのです。その感じがまた素敵!
しかも、一言もそういういきさつのシェアや言葉での複雑な交流はなく、ただただシンプルに神の名を称えて皆で上がっていく感じが何とも美しく、素晴らしく優れた手法だと感じました。
ヨガの抱一先生が、さまざまな貴重な資料を和訳してくださるので、私達はとても素敵な言葉に触れることができます。
ヨガの偉大な師、スワミ・シヴァナンダがサンキールタン・ヨーガに関して書いた一説を先生が紹介してくださったので、ここに転載します:
「サンキールタン・ヨーガは、この時代に神の悟りに到達するための、最も簡単で、確実で、迅速で、安全で、安価で、最良の方法だ。
人々は今日、厳格な苦行の実践はできない。
人々はハタ・ヨーガの実践を行なう強い意志を持っていない。
人々は生涯にわたる完全な純潔(ブラフマチャリヤ)を維持できない。
人々はラージャ・ヨーガのための必要条件を持っていない。
人々は、ギャーナ・ヨーガまたはヴェーダーンタ・サーダナに必要な鋭い知性を与えられていない。
しかし、このサンキールタン・ヨーガ、つまり神の名前を歌うヨーガは全ての方法に拠る達成の範囲にまで及ぶ。」
昔から、人々は文字は読めなくても、歌をうたっていました。
辛い時も、嬉しい時も、仕事の時もお祭りやお祝いの時も、いつも歌っていました。
歌と踊りは人間とともにいつもあって、いつも私たちに真髄の気づきと喜びをもたらしてくれます。
だからきっと、人間はまた、歌いながら究極の歓びに至ることが出来るのでしょう。
まさに宇宙の無限なる愛の力、シャクティそのものですね。