大人になる、ということは、普通の人々にとっては分別や沢山の思い込みが増えることです。

思い込み≒実体験や見聞きした事から学んだ事≒観念≒信念

そして、自分がこの世界で生きていくためには、自分を守って自分を保つためには、これまでの人生で学習した事から、この枠に従っていくべし、と思い、その枠が増えていくのです。

でも心の世界をずーっと探求していると、実は魂が成長するというのは、この思い込みを手放すことに他ならないということに気づいていくのです。

スピリチュアリストというのは、現実の世界に、真我(本当の自分、神なる自分)をいかにして顕現できるのかということを探求している人たちのことです。オーラや過去生やスピリットガイドそのものがスピリチュアルなのではないのです。

その道というのは、知識や経験や学習した事をどんどん積み重ねていって成るような気がするのですが、本当はその逆なのだという事に気づいていくのです。

そう、自分というものを保つ為には、これだけは絶対欠かせないとか、こうしないと自分らしくないとか、自分が幸せになるためには、○○は絶対に外せないとか、これをすると自分が崩れてしまうとか、と思い込んでいること、そんな観念(思い込み)はほとんど過去の傷ついた経験やら、過去の成功や、過去の欠乏体験からの思い込みに過ぎないのです。

そうした潜在意識の観念は、必ず現実として目の前に現れてきます。
誰でも自分の意識(ほとんどが顕在意識の力ではなく、潜在意識の力)が目の前の現実を創っているからです。

自己をみつめていって、より良い現実を創ろうとするとき、その思い込みのジャマさに気づき始め、それを手放してもいいかなと思いはじめるのですが
自分がこれまでに知っている自分(つまりエゴの自分)は、それを死守しようとしますので、いろいろと葛藤や苦しみが生まれたりします。

そんなコトには拘らなくていいのでは、と気づき始めるのですが、どうしても恐くてそこにしがみつこうとする自分が出てきます。

それでも・・

手放せた時には、そこには大きな心の自由があります。

スピリチュアルとは、内なる神性、霊性への目覚めのことで、特別な人の道ではなく、すべての人に共通の人生の目標です。

みな自由への道を歩いているだけ。

それでも不自由なのは、この内なる「思い込み」を自分が抱えているから。
それを目の当たりにする必要があるから。
それを見せてくれるのは、目の前の現実であって、自分の大切な人たち。
み~んな自分が引き寄せています。

これからの時代は、これまでの社会の常識も、さまざまな社会の枠組みも、音を立てて崩れ、新しい意識で新しい価値観を産み出さざるを得なくなることでしょう。

古い常識にしがみつくことは、本当に苦しみそのものとなるでしょう。

「手放す」

というと、まるで出家をする人のように、現世的なものを全部捨てなくてはいけないと思う人がいます。

そうではないですね。

「手放す」

ということは、自分の思い込み、自分が絶対的に握りしめている観念、これだけは外せないと思い込んでいるものを、外すことですね。

そうした時に、本当に必要なものはすっと目の前に現れるのです。

自分の真髄と繋がれる(本当の自分が姿を表わす)からです。

それを自由と呼ぶと思います。

そこには、ありのままの愛そのものの心があると思います。

私も、真の心の自由を探求しています。

あぁ、日々精進、、でございます(^^;

でも・・

「あ、握りしめていたけれど、ほんとはそれ、そんなに絶対的なコトじゃないかも」

と気づくことだけで、自分の周りの世界は、新しい方向へ動き始めます。

 

 

アメブロも日々更新中!

 

大人になる、ということは、普通の人々にとっては分別や沢山の思い込みが増えることです。

思い込み≒実体験や見聞きした事から学んだ事≒観念≒信念

そして、自分がこの世界で生きていくためには、自分を守って自分を保つためには、これまでの人生で学習した事から、この枠に従っていくべし、と思い、その枠が増えていくのです。

でも心の世界をずーっと探求していると、実は魂が成長するというのは、この思い込みを手放すことに他ならないということに気づいていくのです。

スピリチュアリストというのは、現実の世界に、真我(本当の自分、神なる自分)をいかにして顕現できるのかということを探求している人たちのことです。オーラや過去生やスピリットガイドそのものがスピリチュアルなのではないのです。

その道というのは、知識や経験や学習した事をどんどん積み重ねていって成るような気がするのですが、本当はその逆なのだという事に気づいていくのです。

そう、自分というものを保つ為には、これだけは絶対欠かせないとか、こうしないと自分らしくないとか、自分が幸せになるためには、○○は絶対に外せないとか、これをすると自分が崩れてしまうとか、と思い込んでいること、そんな観念(思い込み)はほとんど過去の傷ついた経験やら、過去の成功や、過去の欠乏体験からの思い込みに過ぎないのです。

そうした潜在意識の観念は、必ず現実として目の前に現れてきます。
誰でも自分の意識(ほとんどが顕在意識の力ではなく、潜在意識の力)が目の前の現実を創っているからです。

自己をみつめていって、より良い現実を創ろうとするとき、その思い込みのジャマさに気づき始め、それを手放してもいいかなと思いはじめるのですが
自分がこれまでに知っている自分(つまりエゴの自分)は、それを死守しようとしますので、いろいろと葛藤や苦しみが生まれたりします。

そんなコトには拘らなくていいのでは、と気づき始めるのですが、どうしても恐くてそこにしがみつこうとする自分が出てきます。

それでも・・

手放せた時には、そこには大きな心の自由があります。

スピリチュアルとは、内なる神性、霊性への目覚めのことで、特別な人の道ではなく、すべての人に共通の人生の目標です。

みな自由への道を歩いているだけ。

それでも不自由なのは、この内なる「思い込み」を自分が抱えているから。
それを目の当たりにする必要があるから。
それを見せてくれるのは、目の前の現実であって、自分の大切な人たち。
み~んな自分が引き寄せています。

これからの時代は、これまでの社会の常識も、さまざまな社会の枠組みも、音を立てて崩れ、新しい意識で新しい価値観を産み出さざるを得なくなることでしょう。

古い常識にしがみつくことは、本当に苦しみそのものとなるでしょう。

「手放す」

というと、まるで出家をする人のように、現世的なものを全部捨てなくてはいけないと思う人がいます。

そうではないですね。

「手放す」

ということは、自分の思い込み、自分が絶対的に握りしめている観念、これだけは外せないと思い込んでいるものを、外すことですね。

そうした時に、本当に必要なものはすっと目の前に現れるのです。

自分の真髄と繋がれる(本当の自分が姿を表わす)からです。

それを自由と呼ぶと思います。

そこには、ありのままの愛そのものの心があると思います。

私も、真の心の自由を探求しています。

あぁ、日々精進、、でございます(^^;

でも・・

「あ、握りしめていたけれど、ほんとはそれ、そんなに絶対的なコトじゃないかも」

と気づくことだけで、自分の周りの世界は、新しい方向へ動き始めます。

アメブロも日々更新中!