先日のゴッドファーザーから、しみじみと思いを馳せたことがあります。
映画のPART3の後半で、主人公のマイケルが、自分がマフィアの人生を歩んできた事について、奥さんのケイに、「愛するものを守るために、そうするしかなかった、自分は強くなるしかなかった」
というような台詞を言うのです。
そして、3代目として家業を継ぐことになった彼の甥も、マイケルに
「俺のようになるぞ」
と言われて
「構わない。家族のために強さを手に入れたい」
と言うのです。
《強さで誰かを守る》
非常に曖昧な言葉です。
ほかの多くの言葉と同じように。
《誰かに対して責任をとる》
とかね。
その言葉の裏側には必ず
《守ってあげなければならない、弱い誰か》
や
《他の人に責任をとってもらわなければいけない、誰か》
を創っています。
いろんな人を見ていて、こんな事がよくあります。
例えば、前世でとても仲が良かったお兄ちゃんと妹。
その妹が洪水で濁流に流されて、そのお兄ちゃんは必死に助けようとしたけれど、結局助けられなかった。
そんな事があったとします。
今生でまた、2人は出会いました。
今度こそ、この妹を絶対に助けなければ・・!
とその無念の思い(カルマ)を遂げようとします。
そこまではご縁です。
でもそこからは、本人たちの自由意志が試されます。
例えば、この
「守らなくてはいけない相手」
というのは、
《守ってあげたい》本人が、実は自信を無くしている時、或はもっと自分に満足とか充実感を感じたい時、などに現れたりします。
そして、この相手を守っていくことで、無意識に自分の自信を維持するのです。相手にとっても、その時は必要だから出会うのです。
けれど、実のところ、その守らなくちゃいけない妹は、本当はそんなに弱くなかったりします。
しかしお兄ちゃんが、自分を成り立たせるための《守ってあげたい》エゴと、弱いとかダメとか思い込んでいる妹自身が、何とかしてあげたい現状、というものをクリエイトしていたりします。
「私の今生でのチャレンジは、自分の力でしっかりと生きていくことです」
と、彼女の魂は言っているのに、それにお兄ちゃんも妹自身も気づいていない。そんな場合は、だいたい関係性とか現実に違和感が出てくるのですが、思考で捉えてそこを見ようとしない場合、不毛の関係から抜け出せない事も多いです。
で、とりわけ「守りたい」「成長させたい」と思っているのが、男性の場合は特にこのワナから抜け出すのが難しいようです。
女性がそれに気づいた場合は、とっとと次に進んでいくのですが。(笑)
これは男性の本能でもあると思うので、仕方ない面もありますが、
よく見るのは、家庭をもっている男性で、「もうこの奥さんとは、完全に違う・・」と気づいてしまい、本来今いるべき人と出会っても、どうしても、どうしても、踏み出せない。
で、さんざん何年も何年も苦しんだあげく、ようやく決意をした時には、彼女の気持ちはもう別のところへ行っている、、。
かなりよくあるケースで、見ていても非常にツライものがあります。
でも、仕方ないですね。それに片方だけが悪いとかいうコトでもなく、相手にも何かしらそれをさせる要因があったりします。
まぁ、みんな、やりたい事をやりたい様にやっている訳ですから、いいとか悪いとかは、全くないのですが、上に書いたような事というのは、余計な観念を捨てて、自分の気持ちに本当に素直に生きることを、自分に許せた時には、通る必要のない余分な道になります。
余分な観念に振り回されて、本当に自分の魂が遂げたかった思いに、結局最後まで行き着けなかった、、という事のないようにしたいですね。
映画のPART3でゴッドファーザー、マイケルの奥さんケイは、強さと権力の傘の中で偽りの仮面をつけた生活を拒み、ファミリーを出ていきます。
息子は、弁護士になるための法科を中退し、父親の反対を押し切って、オペラ歌手になる夢を叶えます。
最愛の娘は、最後に敵の銃弾に打たれてこの世を去ります。
マイケルが、力づくで守りたかった愛する人達は、誰一人として、彼のエゴという力のもとに留まることをしませんでした。
こんな結末に、私は
「誰かを守ってあげたい」
「成長させてあげたい」
と祈る、多分、誰の中にも多少なりともある、ある意味美しい美しい、そして非常に魅惑的なワナの存在に、思いを馳せたのでした。
そういう意味では、裏返しの
「守って欲しい」
「成長したい」
も、同じようなものです。
もちろん、私もさんざん、いろいろ通りました。
通っても、通っても、まだ自分が手放すべき残骸がある場合は、これでもか!と宇宙に見せてもらえます。^^
今日もあなたの守りたいその相手は、「私の中の、本当の光を、本当の強さを見て!」
と言っていることでしょう。
そういうあなたである事を、魂で願っていることでしょう。
たとえ現象がどうであっても。
本当に大切で、愛し、守りたいと思う人をこそ、手放して、自由にしてあげる。
そうした時に、自然に収まってくる姿。
人間関係の究極のレベル、そして本来私たちがあったところに還ったレベル、なのでは、と思います。
先日のゴッドファーザーから、しみじみと思いを馳せたことがあります。
映画のPART3の後半で、主人公のマイケルが、自分がマフィアの人生を歩んできた事について、奥さんのケイに、「愛するものを守るために、そうするしかなかった、自分は強くなるしかなかった」
というような台詞を言うのです。
そして、3代目として家業を継ぐことになった彼の甥も、マイケルに
「俺のようになるぞ」
と言われて
「構わない。家族のために強さを手に入れたい」
と言うのです。
《強さで誰かを守る》
非常に曖昧な言葉です。
ほかの多くの言葉と同じように。
《誰かに対して責任をとる》
とかね。
その言葉の裏側には必ず
《守ってあげなければならない、弱い誰か》
や
《他の人に責任をとってもらわなければいけない、誰か》
を創っています。
いろんな人を見ていて、こんな事がよくあります。
例えば、前世でとても仲が良かったお兄ちゃんと妹。
その妹が洪水で濁流に流されて、そのお兄ちゃんは必死に助けようとしたけれど、結局助けられなかった。
そんな事があったとします。
今生でまた、2人は出会いました。
今度こそ、この妹を絶対に助けなければ・・!
とその無念の思い(カルマ)を遂げようとします。
そこまではご縁です。
でもそこからは、本人たちの自由意志が試されます。
例えば、この
「守らなくてはいけない相手」
というのは、
《守ってあげたい》本人が、実は自信を無くしている時、或はもっと自分に満足とか充実感を感じたい時、などに現れたりします。
そして、この相手を守っていくことで、無意識に自分の自信を維持するのです。相手にとっても、その時は必要だから出会うのです。
けれど、実のところ、その守らなくちゃいけない妹は、本当はそんなに弱くなかったりします。
しかしお兄ちゃんが、自分を成り立たせるための《守ってあげたい》エゴと、弱いとかダメとか思い込んでいる妹自身が、何とかしてあげたい現状、というものをクリエイトしていたりします。
「私の今生でのチャレンジは、自分の力でしっかりと生きていくことです」
と、彼女の魂は言っているのに、それにお兄ちゃんも妹自身も気づいていない。そんな場合は、だいたい関係性とか現実に違和感が出てくるのですが、思考で捉えてそこを見ようとしない場合、不毛の関係から抜け出せない事も多いです。
で、とりわけ「守りたい」「成長させたい」と思っているのが、男性の場合は特にこのワナから抜け出すのが難しいようです。
女性がそれに気づいた場合は、とっとと次に進んでいくのですが。(笑)
これは男性の本能でもあると思うので、仕方ない面もありますが、
よく見るのは、家庭をもっている男性で、「もうこの奥さんとは、完全に違う・・」と気づいてしまい、本来今いるべき人と出会っても、どうしても、どうしても、踏み出せない。
で、さんざん何年も何年も苦しんだあげく、ようやく決意をした時には、彼女の気持ちはもう別のところへ行っている、、。
かなりよくあるケースで、見ていても非常にツライものがあります。
でも、仕方ないですね。それに片方だけが悪いとかいうコトでもなく、相手にも何かしらそれをさせる要因があったりします。
まぁ、みんな、やりたい事をやりたい様にやっている訳ですから、いいとか悪いとかは、全くないのですが、上に書いたような事というのは、余計な観念を捨てて、自分の気持ちに本当に素直に生きることを、自分に許せた時には、通る必要のない余分な道になります。
余分な観念に振り回されて、本当に自分の魂が遂げたかった思いに、結局最後まで行き着けなかった、、という事のないようにしたいですね。
映画のPART3でゴッドファーザー、マイケルの奥さんケイは、強さと権力の傘の中で偽りの仮面をつけた生活を拒み、ファミリーを出ていきます。
息子は、弁護士になるための法科を中退し、父親の反対を押し切って、オペラ歌手になる夢を叶えます。
最愛の娘は、最後に敵の銃弾に打たれてこの世を去ります。
マイケルが、力づくで守りたかった愛する人達は、誰一人として、彼のエゴという力のもとに留まることをしませんでした。
こんな結末に、私は
「誰かを守ってあげたい」
「成長させてあげたい」
と祈る、多分、誰の中にも多少なりともある、ある意味美しい美しい、そして非常に魅惑的なワナの存在に、思いを馳せたのでした。
そういう意味では、裏返しの
「守って欲しい」
「成長したい」
も、同じようなものです。
もちろん、私もさんざん、いろいろ通りました。
通っても、通っても、まだ自分が手放すべき残骸がある場合は、これでもか!と宇宙に見せてもらえます。^^
今日もあなたの守りたいその相手は、「私の中の、本当の光を、本当の強さを見て!」
と言っていることでしょう。
そういうあなたである事を、魂で願っていることでしょう。
たとえ現象がどうであっても。
本当に大切で、愛し、守りたいと思う人をこそ、手放して、自由にしてあげる。
そうした時に、自然に収まってくる姿。
人間関係の究極のレベル、そして本来私たちがあったところに還ったレベル、なのでは、と思います。