え~とですね、若いコたちは知らないと思うのですが、ひとつ、ふたつ、みっつくらい昔の日本に、フォークソングブームというのがあったんですね。
とか、ニューミュージックとか呼ばれるジャンルもあって、歌謡曲の人たちはテレビで歌っているのに対して、そういう人たちは、シンガーソングライターとかって呼ばれて、自分で歌をつくって、ギター弾いたり、ピアノ弾き語りしたりして、レコードとライブを中心に活動したり、ラジオ番組やったりしていたのでございました。

で、フォークソングのカリスマともいえる一人に、吉田拓郎ってヒトがいてね、私は小学生だったんだけど、兄の部屋に忍び込んで、ビートルズとか、シルビーバルタン(!?)とかのレコードと一緒に、この拓郎さんのレコードを引っぱりだして、よく聞いていたのです。^^

ちょっとハナシは飛びますが、私のクライアントさんの一人に、歌を通してメッセージをチャネリングする方がいます。メロディーはよく知っているけれど、歌詞はあまり知らないような曲でも、突然そのサビの部分などが耳元で聞こえるらしいのです。で、歌詞をよく調べてみると、あまりにも今の自分にヒットするんで驚く、、てな調子のようです。

ぱっと浮かぶ曲で、自分へのキーワードをリーディングする方法というのも、先日あるところで教えていただきました。浮かんでくる曲は、今の自分。

で、今日の一曲、いえ二曲をここに。。

先日の満月の前後で、怒涛のバイブレーションの波が凄くてですね、私。

今日はこの吉田拓郎さんの曲を。

1975年、(ミュゲはまだ小学生の頃)つま恋コンサートでの映像です。

フォークソングって、本音の歌すぎて、ちょっと恥ずかしいっていうか、拓郎は特にボブ・ディランに影響受けたらしくって、とりわけ音楽ていうか、語りなんですよね~。だから余計恥ずかしいかったりもするのですが、
でも、でも、すごい久しぶりに聞いてやっぱり感動するんで、敢えて。

《今日まで そして明日から》

「私には私の生き方がある。
それは恐らく自分というものを、知るところから始まるものでしょう。
けれど、それにしたって、どこでどう変わってしまうか
そうです、分からないまま生きて行く
明日からの、そんな、私です。」

今掴んでいるものにしがみつかない、
凄い究極の曲を、拓郎さんはまだ大学生の頃に書いているのですね。

《間に合うかもしれない》

って曲もあって

「大切なのは、捨て去ること」
「今の自分を捨てるのは今なんだ」

とか歌ってるの。小学生や中学生で、どうしてこういう歌詞に共鳴していたのか、よく覚えていないんだけど、でも感動していたんですよね。
よっぽど昔から捨て去りたかったのかも(笑)。
今まさに、何重もの深さで心に響きます。

《知識》って曲もあります。

「どこへ行こうと勝手だし、何をしようと勝手なんだ。」
「一人になるのに理由がいるか!」
「理由があるから生きるのか?」
「自由を語るな、不自由な顔で」

とかって、アタシも反抗期がキツかったんで、当時の拓郎さんの、ヤンチャで、自意識過剰な、情熱的な刃物のようなバイブレーションに共感していたのでしょう。
あの、70年代、80年代の頃の彼のシャウトするワイルドな声が好きです。

でも、でも、2006年に、30年前の「つま恋」でのコンサートをもう一度、3500人の同窓会、ということで行われたライブで、拓郎が最後にこの「今日までそして明日から」を歌い終わって、あのヤンチャ坊主のようだった彼が、ステージで、お客さんにずーっと、ずーーーーーっと長い間頭を下げて感謝を捧げていた映像に、目頭が熱くなりました。

だけど、そうそう私もしおらしくなったりしないさ~!(笑)

これも、80年代くらいの映像かな~。
これは、昔では意味が分からなかった。
若者の歌のようなんだけど
今でないと、分からない、感じられない、そんな意味合いもあるよね。

越えてゆけそこを、越えてゆけそれを~!
今はまだまだ、人生を語らず。

今のアタシはこんな感じなんだよ。

《人生を語らず》

「朝陽が昇るから、起きるんじゃなくて、
目覚める時だから旅をする」

「教えられるものに、別れを告げて
届かないものを 身近に感じて」

「分かり合うことよりは、確かめ合うことだ
季節のめぐる中で、今日を確かめる」

「あの人のための自分などと言わず
あの人のために 去り行くことだ」

「空を飛ぶことよりは
地を這うために
口を閉ざすんだ 臆病者として」

「目の前のコップの水を一息に飲み干せば
傷も癒えるし それからでも遅くはない」

どんなにあたしがあの人を愛したか
知る人は永遠にいないでしょう
いいんだ それで

「越えてゆけそこを~~
越えてゆけそれを~
今はまだ、人生を、人生を語らず」

こんな魂に響く曲をいっぱい生みだしていた、あの頃っていうのは
「時代の熱」
みたいなものを持っていたのかな。。。

「人生を語らず」
って言いながら、すんごい語ってくれてるんだよね(笑)
チャーミングでカッコいいと思うの。
今や60歳を越えたフォークのスーパースター拓郎さんです。

「人間なんてララララララララ~~♪」

ありがとう、拓郎さん!
え~とですね、若いコたちは知らないと思うのですが、ひとつ、ふたつ、みっつくらい昔の日本に、フォークソングブームというのがあったんですね。
とか、ニューミュージックとか呼ばれるジャンルもあって、歌謡曲の人たちはテレビで歌っているのに対して、そういう人たちは、シンガーソングライターとかって呼ばれて、自分で歌をつくって、ギター弾いたり、ピアノ弾き語りしたりして、レコードとライブを中心に活動したり、ラジオ番組やったりしていたのでございました。

で、フォークソングのカリスマともいえる一人に、吉田拓郎ってヒトがいてね、私は小学生だったんだけど、兄の部屋に忍び込んで、ビートルズとか、シルビーバルタン(!?)とかのレコードと一緒に、この拓郎さんのレコードを引っぱりだして、よく聞いていたのです。^^

ちょっとハナシは飛びますが、私のクライアントさんの一人に、歌を通してメッセージをチャネリングする方がいます。メロディーはよく知っているけれど、歌詞はあまり知らないような曲でも、突然そのサビの部分などが耳元で聞こえるらしいのです。で、歌詞をよく調べてみると、あまりにも今の自分にヒットするんで驚く、、てな調子のようです。

ぱっと浮かぶ曲で、自分へのキーワードをリーディングする方法というのも、先日あるところで教えていただきました。浮かんでくる曲は、今の自分。

で、今日の一曲、いえ二曲をここに。。

先日の満月の前後で、怒涛のバイブレーションの波が凄くてですね、私。

今日はこの吉田拓郎さんの曲を。

1975年、(ミュゲはまだ小学生の頃)つま恋コンサートでの映像です。

フォークソングって、本音の歌すぎて、ちょっと恥ずかしいっていうか、拓郎は特にボブ・ディランに影響受けたらしくって、とりわけ音楽ていうか、語りなんですよね~。だから余計恥ずかしいかったりもするのですが、
でも、でも、すごい久しぶりに聞いてやっぱり感動するんで、敢えて。

《今日まで そして明日から》

「私には私の生き方がある。
それは恐らく自分というものを、知るところから始まるものでしょう。
けれど、それにしたって、どこでどう変わってしまうか
そうです、分からないまま生きて行く
明日からの、そんな、私です。」

今掴んでいるものにしがみつかない、
凄い究極の曲を、拓郎さんはまだ大学生の頃に書いているのですね。

《間に合うかもしれない》

って曲もあって

「大切なのは、捨て去ること」
「今の自分を捨てるのは今なんだ」

とか歌ってるの。小学生や中学生で、どうしてこういう歌詞に共鳴していたのか、よく覚えていないんだけど、でも感動していたんですよね。
よっぽど昔から捨て去りたかったのかも(笑)。
今まさに、何重もの深さで心に響きます。

《知識》って曲もあります。

「どこへ行こうと勝手だし、何をしようと勝手なんだ。」
「一人になるのに理由がいるか!」
「理由があるから生きるのか?」
「自由を語るな、不自由な顔で」

とかって、アタシも反抗期がキツかったんで、当時の拓郎さんの、ヤンチャで、自意識過剰な、情熱的な刃物のようなバイブレーションに共感していたのでしょう。
あの、70年代、80年代の頃の彼のシャウトするワイルドな声が好きです。

でも、でも、2006年に、30年前の「つま恋」でのコンサートをもう一度、3500人の同窓会、ということで行われたライブで、拓郎が最後にこの「今日までそして明日から」を歌い終わって、あのヤンチャ坊主のようだった彼が、ステージで、お客さんにずーっと、ずーーーーーっと長い間頭を下げて感謝を捧げていた映像に、目頭が熱くなりました。

だけど、そうそう私もしおらしくなったりしないさ~!(笑)

これも、80年代くらいの映像かな~。
これは、昔では意味が分からなかった。
若者の歌のようなんだけど
今でないと、分からない、感じられない、そんな意味合いもあるよね。

越えてゆけそこを、越えてゆけそれを~!
今はまだまだ、人生を語らず。

今のアタシはこんな感じなんだよ。

《人生を語らず》

「朝陽が昇るから、起きるんじゃなくて、
目覚める時だから旅をする」

「教えられるものに、別れを告げて
届かないものを 身近に感じて」

「分かり合うことよりは、確かめ合うことだ
季節のめぐる中で、今日を確かめる」

「あの人のための自分などと言わず
あの人のために 去り行くことだ」

「空を飛ぶことよりは
地を這うために
口を閉ざすんだ 臆病者として」

「目の前のコップの水を一息に飲み干せば
傷も癒えるし それからでも遅くはない」

どんなにあたしがあの人を愛したか
知る人は永遠にいないでしょう
いいんだ それで

「越えてゆけそこを~~
越えてゆけそれを~
今はまだ、人生を、人生を語らず」

こんな魂に響く曲をいっぱい生みだしていた、あの頃っていうのは
「時代の熱」
みたいなものを持っていたのかな。。。

「人生を語らず」
って言いながら、すんごい語ってくれてるんだよね(笑)
チャーミングでカッコいいと思うの。
今や60歳を越えたフォークのスーパースター拓郎さんです。

「人間なんてララララララララ~~♪」

ありがとう、拓郎さん!