2005年に公開された映画「ダンシング・ハバナ」。
ちょうどラテンダンスにハマっていた時だったのですが、観てなかったのでこの度DVD借りてきてみました。

勝手に大人っぽいラテン映画だと思っていたのですが、主人公は18歳くらいの若いカップルでしたが、なかなか面白かったです。

裕福な家庭の、優等生のアメリカ人の女の子が父親の仕事の都合でキューバに移り住むことになり、そこで知り合ったキューバの男の子と踊りを通して惹かれ合っていくラブストーリー。

舞台は50年代のキューバで革命期でもあり、微妙に政治的背景もちらつきながら、主人公の男の子が家族でキューバを脱出するためにも、高額な賞金を獲得できるダンスコンテストを2人で目指す、というストーリーで、物語自体はどうということでもないのですが、やはりラテンの国に流れているものはイイです^^

で、私のツボにはまったのはですね、主人公のケイティがお上品な社交ダンスから、現地の人々が音楽を体で感じて踊っているのを目の当たりにし、パートナーのハビエルと一緒にそれを踊ろうとするのですが、何かにブチあたってできないと悩み、そこから「ラテンな自由なオンナ」へ目覚めていくあたりのシーンです!

特別出演で、「ゴースト」のパトリック・スウェイジがダンスの先生役で出演しているのですが、その辺のやりとりがなかなか深いです。

ケイティは、パートナーのハビエルから、
「何をそんなに怖がっているんだ」
と、言われるが自分が怖がっているなんて認められない。
ダンスの先生は、それを
「マズイな」
と指摘します。

「怖れを克服しないと、彼とひとつになれない。

相手に身を任せるのは、不安だし、怖い。

だからこそ、価値がある。

考えずに、踊れ。」

う~ん、私このセリフ、とっても響いたんですよね~。
もう一回書いちゃう。(笑)

「相手に身を任せるのは、不安だし、怖い。

だからこそ、価値がある。

考えずに、踊れ!」

この映画の公開されていた頃、私もペアダンスを習っていて、よくメルマガに、ペアダンスに学ぶパートナーシップネタ、みたいなものを書いていました。ペアダンス、本当に深くて、人生とか、鏡の法則とか、恋愛とか人間関係とか、さまざまなものをかいま見ることができるのです。

私のダンスの先生も、よくペアダンスの基本として、とにかく
「相手を見て踊る!」
ということをひたすら言い続けていました。
どうしても、ステップが気になって他の人の足元とか、あらぬ方向とか、下を向いてしまったりするのです。そうすることで一番ウマく踊れなくなるんだ!、とゲキを飛ばされます。
相手の目をきちんと見て踊っていれば、次に自分がどう動けばいいのか、自然と伝わってくる、それは以心伝心、相手の中に自分が見える、一体となって踊れる、と言い続けていました。
今改めて思っても、とてもスピリチュアルな法則がそこにあるのであります。相手をきちんと見ていれば、自分が見えるということを。

映画の話にもどりますが、くだんの先生とのレッスンの後、自分が怖がっていたことに気づいたケイティは、ハビエルに
「あなたの言う通り、私怖がっていたわ」
と伝えます。

で、その後2人が海で波を感じながらレッスンをするシーンがあるのですが、一瞬のシーンなのですが、大好きなところでした。

「キューバのダンスは波のように踊る。
もともとは奴隷のダンス。
でも、踊っている時には自由になれる。
鳥になったり、フラメンコのステップを踏んだり
故郷を夢見て海で戯れたりもできる。」

《踊っている時には、なりたい自分になれるんだ》

相手に身を任せられない、相手を信頼できない、それは何故?

信頼できない相手が目の前にいるという事実。

パートナーシップで問題がある現状が目の前にある、それは何故?

自分を信頼できない、真実の自分に自分を委ねられない。

だからパートナーシップでそれを見せてもらっている。

相手は、全身全霊でそれを見せてくれている。

目覚めよ、目覚めよ、脱皮せよ。

映画でダンスの先生が言っていたように、怖がっていることを
「認めない」
うちは何も解決しない。

怖いんだ。

カラッポなんだ。

抵抗しているんだ。

認められた瞬間から、そこに何かが流れ出す。

そんなコトまでも共鳴していってしまった

今回のダンシング・ハバナでした。。!

主人公の若い2人が可愛いです。

ちなみに、私が習っていたラテンダンスは、この映画の中の踊りほどキワドイのではないので、アシカラズ。。

2005年に公開された映画「ダンシング・ハバナ」。
ちょうどラテンダンスにハマっていた時だったのですが、観てなかったのでこの度DVD借りてきてみました。

勝手に大人っぽいラテン映画だと思っていたのですが、主人公は18歳くらいの若いカップルでしたが、なかなか面白かったです。

裕福な家庭の、優等生のアメリカ人の女の子が父親の仕事の都合でキューバに移り住むことになり、そこで知り合ったキューバの男の子と踊りを通して惹かれ合っていくラブストーリー。

舞台は50年代のキューバで革命期でもあり、微妙に政治的背景もちらつきながら、主人公の男の子が家族でキューバを脱出するためにも、高額な賞金を獲得できるダンスコンテストを2人で目指す、というストーリーで、物語自体はどうということでもないのですが、やはりラテンの国に流れているものはイイです^^

で、私のツボにはまったのはですね、主人公のケイティがお上品な社交ダンスから、現地の人々が音楽を体で感じて踊っているのを目の当たりにし、パートナーのハビエルと一緒にそれを踊ろうとするのですが、何かにブチあたってできないと悩み、そこから「ラテンな自由なオンナ」へ目覚めていくあたりのシーンです!

特別出演で、「ゴースト」のパトリック・スウェイジがダンスの先生役で出演しているのですが、その辺のやりとりがなかなか深いです。

ケイティは、パートナーのハビエルから、
「何をそんなに怖がっているんだ」
と、言われるが自分が怖がっているなんて認められない。
ダンスの先生は、それを
「マズイな」
と指摘します。

「怖れを克服しないと、彼とひとつになれない。

相手に身を任せるのは、不安だし、怖い。

だからこそ、価値がある。

考えずに、踊れ。」

う~ん、私このセリフ、とっても響いたんですよね~。
もう一回書いちゃう。(笑)

「相手に身を任せるのは、不安だし、怖い。

だからこそ、価値がある。

考えずに、踊れ!」

この映画の公開されていた頃、私もペアダンスを習っていて、よくメルマガに、ペアダンスに学ぶパートナーシップネタ、みたいなものを書いていました。ペアダンス、本当に深くて、人生とか、鏡の法則とか、恋愛とか人間関係とか、さまざまなものをかいま見ることができるのです。

私のダンスの先生も、よくペアダンスの基本として、とにかく
「相手を見て踊る!」
ということをひたすら言い続けていました。
どうしても、ステップが気になって他の人の足元とか、あらぬ方向とか、下を向いてしまったりするのです。そうすることで一番ウマく踊れなくなるんだ!、とゲキを飛ばされます。
相手の目をきちんと見て踊っていれば、次に自分がどう動けばいいのか、自然と伝わってくる、それは以心伝心、相手の中に自分が見える、一体となって踊れる、と言い続けていました。
今改めて思っても、とてもスピリチュアルな法則がそこにあるのであります。相手をきちんと見ていれば、自分が見えるということを。

映画の話にもどりますが、くだんの先生とのレッスンの後、自分が怖がっていたことに気づいたケイティは、ハビエルに
「あなたの言う通り、私怖がっていたわ」
と伝えます。

で、その後2人が海で波を感じながらレッスンをするシーンがあるのですが、一瞬のシーンなのですが、大好きなところでした。

「キューバのダンスは波のように踊る。
もともとは奴隷のダンス。
でも、踊っている時には自由になれる。
鳥になったり、フラメンコのステップを踏んだり
故郷を夢見て海で戯れたりもできる。」

《踊っている時には、なりたい自分になれるんだ》

相手に身を任せられない、相手を信頼できない、それは何故?

信頼できない相手が目の前にいるという事実。

パートナーシップで問題がある現状が目の前にある、それは何故?

自分を信頼できない、真実の自分に自分を委ねられない。

だからパートナーシップでそれを見せてもらっている。

相手は、全身全霊でそれを見せてくれている。

目覚めよ、目覚めよ、脱皮せよ。

映画でダンスの先生が言っていたように、怖がっていることを
「認めない」
うちは何も解決しない。

怖いんだ。

カラッポなんだ。

抵抗しているんだ。

認められた瞬間から、そこに何かが流れ出す。

そんなコトまでも共鳴していってしまった

今回のダンシング・ハバナでした。。!

主人公の若い2人が可愛いです。

ちなみに、私が習っていたラテンダンスは、この映画の中の踊りほどキワドイのではないので、アシカラズ。。