年末に、お世話になっていた整体の先生が亡くなりました。
半年くらい病気療養中だったのですが、58才でまだお若かったので病気の進行も早かったのか、また復帰されてお会いできると思っていたのでとてもショックでした。
その先生の整体を受けに通っていたのは亡くなる前の半年ほどだったのですが、不思議にご縁も深かったようで、私の仕事のことなどもあまり話さなくともよく理解してくださり、穏やかに話される言葉一つ一つが暖かく、患者さんの深い気持ちも読み取って安心させてくれるような先生でした。
お通夜とお葬式には行かれなかったのですが、今年に入ったある休日、その先生がふとメッセージを伝えに来られました。
(通常私は亡くなった方からのメッセージをお伝えするような役割にはありませんが、ご縁のある方とか親しい方だったりすると、時々そういう事もあります。)
とても懐かしい優しい波動で、自分の人生に悔いはないし、もともとの寿命よりも長く生かしてもらったと思っている。けれども一つだけ心残りは、自分を信じて通ってきてくれた患者さんに、もう一度会いたいという願いが叶わなかったこと、と伝えていかれました。
後から先生と親しかった方に聞いた話によると、もう病気が発見された時は末期で、本人は無理な延命治療を望まなかったらしいのですが、ご家族(10才近く年下の奥様と5人のお子さん達)が、1日でも長く生きて欲しいと必死の説得で治療を受けていたそうです。
患者さんに向けての思いと、そしてご家族に対するお気持ちを伝えていかれました。あまりにも愛し合っていた家族だったために、お父さんを無くした悲しみにご家族が耐えかねている様子がその言葉から伝わってきました。先生は、「いつも見守っているから、早く元気になって早く私を安心させて欲しい」と告げていかれました。
このメッセージをご家族にお伝えしたいと思いましたが、ご家族とは面識がないしどうしたものかと思っていたところ、この先生を紹介してくれた友人がさらに先生の奥様と親しい方に話をしてくれて、しばらく前一緒にご自宅にお線香をあげに行かせていただきました。
友人から、先生ご夫妻は結婚して何十年たってもずっとラブラブで、いまだにお風呂に一緒に入ったり、奥様に靴下をはかせてもらったりしている、ときいていました。実際お会いすると、「なるほどな」と思うような可愛らしく、そしてしっかり者、といった感じの奥様でした。
もう本当に皆が話す一つ一つのエピソードから、先生がどんなに類いまれな愛の治療をしていたか、ということが伺えました。私の友人もいつも、いろんな悩みを相談していたらしいです。ご家族に対してもしかりです。いつも変わらない穏やかさで、若い時からずっとずっと働き通し。そのかわり奥様は絶対に働かせず、もしも働くならば僕が変わりに主夫になるから、というような徹底ぶりだったようです。まぁ、お子さん5人もいらっしゃることもあるし、しかも聞けばこの奥様との出会いの前の結婚でさらにお二人子供がいて、その下の方の子まで引き取って育てていたとのこと!奥様は結婚したのが20才(!)だそうで、つまり20才そこそこで、先妻さんの12才の子供を引き取り、その後5人の子供を生んで育て、先生は亡くなる前数年こそは、なかなか予約も取りにくいほど繁盛する治療院でしたが、お若いころはまだ治療だけでは食べられず、朝も夜も別のアルバイトをして家族を養っていたそうです。聞けば聞くほど、私には真似のできない人生です。
今ではお孫さんも何人もいて、ようやく一番下の子が高校生になり、これからは少しはゆったりと夫婦も時間も持てるかね、といっていた矢先だったそうですから、奥様のお気持ちを思えば、壮絶な人生なのです、、。
でもメッセージを伝えにいらした先生の言葉には、一つの曇りのようなものもなく自分のことなんて何も悔いていない、突然いなくなってしまって患者さんたちの事をきにかけていらした。そして家族のこと。そのあまりの清々しさと優しさに私はしばらく涙が止まりませんでした。あれだけ患者さんや家族のために尽くして、尽くして、亡くなってまで、なおも皆のことを気遣っていました。
「先生、働きすぎだよ。。」
私はほんとうに生前そう言ってさしあげたかったです。
でも、言っても同じだったと思います。
人の一生というものは、その人がこう生きようと思ったようにしか生きられません。そういう人生を、今回先生は選んだのでしょう。
ご自宅に伺ってメッセージをお伝えしたところ、奥様は涙を流しながら喜んでくださいました。
皆が先生が生前こんな優しい言葉をいってくれた、こんな親切をしてくれた、と思い出話をする中にもどんなに素晴らしい先生だったかを改めて感じました。
それを聞く奥様も、自宅でもまったくそのままだった、患者さんにも家族にも変わらず優しく接してくれた、と。そして何より「夫婦が基本なんだから」と、何かあれば徹底的に話し合った、とおっしゃっていました。そして分からないこと、納得できないことは、奥様にもお子さんにもたとえ何時間でも話してきかせたそうです。
タメ息がでるような家族愛がそこにはありました。。
そんなお父さんがいなくなって、立ち直れないほどショックを受けているお子さんたちの気持ちも分かります。
奥様は、ようやく最近は少し元気を回復し、働きに出ておられるそうです。
けれども、私たちにこう言っていました。
「私が生きる望みは、次に生まれ変わったら絶対にまたお父さんと会うんだって。それを信じて生きるんだって、思ってます。」と、、。
強烈な夫婦愛です。
この話を聞いた友人Aは言いました。
「私のパートナーシップへの思いもそういうものよ」と。
別の友人Bは言いました。
(働きずめで、一緒にいる時間が少なかったので、ホスピスでの時間がはじめての夫婦水入らずで長い時間を過ごした経験だったという話をしたので)
「絶対にそんなのはイヤだ!
だいたいそんなに強烈に好きになって、その人がいなくちゃ生きていけない程だったら先に死なれたりしたら自分は絶対に耐えられない。だからもっとライトな関係がいい!」と。
どちらの気持ちも分かります。
私は仕事上、いろんな方の人生を見させていただく事も多いわけですが、また自分自身、転生回数もかなり多いらしく、個人的にはもうあまり「思い残し」は残したくない、というのが本音です。
これまでの人生でも幾つものカルマの解消をしてきたわけですが、できれば、というか当然、今生できることは今生終わらせておきたいです。
とりわけ男女関係というのは思いが残りがちです。
好きだった、一緒になれなかった、途中で別れた、また一緒になりたい、傷ついた、傷つけられた、もっとこうしたかった、ああしたかった、こんなところが悔やまれる、etc..
いわば執着です。
当然ですよね。人間執着ない人なんかいませんし。やり直したい、は向上心とも言えるでしょう。
だけど、やはりもう悔いや執着の残る恋愛や生き方は私はしないと思います。(というかしたくないです。)
何というか、本当の意味でその人を解放してあげられるような、そして自分をも解放するような愛し方をしたいです。またできるようになりたいです。そうじゃないと、永遠にこれ続きます。疲れます。。(笑)
こちら側に閉じた愛ではなくて、向こう側に広く高く開いた愛し方をしていきたいと思うのです、、。
そういう愛こそ、永遠の愛と呼ぶのじゃないか、、って。そういう愛を人は持つことが出来るんだって、思ってます。そういう関係性を結ぶことができるんだって。
青い、、?
いいんです。青いんです、いつまでたっても、私。。(笑)
年末に、お世話になっていた整体の先生が亡くなりました。
半年くらい病気療養中だったのですが、58才でまだお若かったので病気の進行も早かったのか、また復帰されてお会いできると思っていたのでとてもショックでした。
その先生の整体を受けに通っていたのは亡くなる前の半年ほどだったのですが、不思議にご縁も深かったようで、私の仕事のことなどもあまり話さなくともよく理解してくださり、穏やかに話される言葉一つ一つが暖かく、患者さんの深い気持ちも読み取って安心させてくれるような先生でした。
お通夜とお葬式には行かれなかったのですが、今年に入ったある休日、その先生がふとメッセージを伝えに来られました。
(通常私は亡くなった方からのメッセージをお伝えするような役割にはありませんが、ご縁のある方とか親しい方だったりすると、時々そういう事もあります。)
とても懐かしい優しい波動で、自分の人生に悔いはないし、もともとの寿命よりも長く生かしてもらったと思っている。けれども一つだけ心残りは、自分を信じて通ってきてくれた患者さんに、もう一度会いたいという願いが叶わなかったこと、と伝えていかれました。
後から先生と親しかった方に聞いた話によると、もう病気が発見された時は末期で、本人は無理な延命治療を望まなかったらしいのですが、ご家族(10才近く年下の奥様と5人のお子さん達)が、1日でも長く生きて欲しいと必死の説得で治療を受けていたそうです。
患者さんに向けての思いと、そしてご家族に対するお気持ちを伝えていかれました。あまりにも愛し合っていた家族だったために、お父さんを無くした悲しみにご家族が耐えかねている様子がその言葉から伝わってきました。先生は、「いつも見守っているから、早く元気になって早く私を安心させて欲しい」と告げていかれました。
このメッセージをご家族にお伝えしたいと思いましたが、ご家族とは面識がないしどうしたものかと思っていたところ、この先生を紹介してくれた友人がさらに先生の奥様と親しい方に話をしてくれて、しばらく前一緒にご自宅にお線香をあげに行かせていただきました。
友人から、先生ご夫妻は結婚して何十年たってもずっとラブラブで、いまだにお風呂に一緒に入ったり、奥様に靴下をはかせてもらったりしている、ときいていました。実際お会いすると、「なるほどな」と思うような可愛らしく、そしてしっかり者、といった感じの奥様でした。
もう本当に皆が話す一つ一つのエピソードから、先生がどんなに類いまれな愛の治療をしていたか、ということが伺えました。私の友人もいつも、いろんな悩みを相談していたらしいです。ご家族に対してもしかりです。いつも変わらない穏やかさで、若い時からずっとずっと働き通し。そのかわり奥様は絶対に働かせず、もしも働くならば僕が変わりに主夫になるから、というような徹底ぶりだったようです。まぁ、お子さん5人もいらっしゃることもあるし、しかも聞けばこの奥様との出会いの前の結婚でさらにお二人子供がいて、その下の方の子まで引き取って育てていたとのこと!奥様は結婚したのが20才(!)だそうで、つまり20才そこそこで、先妻さんの12才の子供を引き取り、その後5人の子供を生んで育て、先生は亡くなる前数年こそは、なかなか予約も取りにくいほど繁盛する治療院でしたが、お若いころはまだ治療だけでは食べられず、朝も夜も別のアルバイトをして家族を養っていたそうです。聞けば聞くほど、私には真似のできない人生です。
今ではお孫さんも何人もいて、ようやく一番下の子が高校生になり、これからは少しはゆったりと夫婦も時間も持てるかね、といっていた矢先だったそうですから、奥様のお気持ちを思えば、壮絶な人生なのです、、。
でもメッセージを伝えにいらした先生の言葉には、一つの曇りのようなものもなく自分のことなんて何も悔いていない、突然いなくなってしまって患者さんたちの事をきにかけていらした。そして家族のこと。そのあまりの清々しさと優しさに私はしばらく涙が止まりませんでした。あれだけ患者さんや家族のために尽くして、尽くして、亡くなってまで、なおも皆のことを気遣っていました。
「先生、働きすぎだよ。。」
私はほんとうに生前そう言ってさしあげたかったです。
でも、言っても同じだったと思います。
人の一生というものは、その人がこう生きようと思ったようにしか生きられません。そういう人生を、今回先生は選んだのでしょう。
ご自宅に伺ってメッセージをお伝えしたところ、奥様は涙を流しながら喜んでくださいました。
皆が先生が生前こんな優しい言葉をいってくれた、こんな親切をしてくれた、と思い出話をする中にもどんなに素晴らしい先生だったかを改めて感じました。
それを聞く奥様も、自宅でもまったくそのままだった、患者さんにも家族にも変わらず優しく接してくれた、と。そして何より「夫婦が基本なんだから」と、何かあれば徹底的に話し合った、とおっしゃっていました。そして分からないこと、納得できないことは、奥様にもお子さんにもたとえ何時間でも話してきかせたそうです。
タメ息がでるような家族愛がそこにはありました。。
そんなお父さんがいなくなって、立ち直れないほどショックを受けているお子さんたちの気持ちも分かります。
奥様は、ようやく最近は少し元気を回復し、働きに出ておられるそうです。
けれども、私たちにこう言っていました。
「私が生きる望みは、次に生まれ変わったら絶対にまたお父さんと会うんだって。それを信じて生きるんだって、思ってます。」と、、。
強烈な夫婦愛です。
この話を聞いた友人Aは言いました。
「私のパートナーシップへの思いもそういうものよ」と。
別の友人Bは言いました。
(働きずめで、一緒にいる時間が少なかったので、ホスピスでの時間がはじめての夫婦水入らずで長い時間を過ごした経験だったという話をしたので)
「絶対にそんなのはイヤだ!
だいたいそんなに強烈に好きになって、その人がいなくちゃ生きていけない程だったら先に死なれたりしたら自分は絶対に耐えられない。だからもっとライトな関係がいい!」と。
どちらの気持ちも分かります。
私は仕事上、いろんな方の人生を見させていただく事も多いわけですが、また自分自身、転生回数もかなり多いらしく、個人的にはもうあまり「思い残し」は残したくない、というのが本音です。
これまでの人生でも幾つものカルマの解消をしてきたわけですが、できれば、というか当然、今生できることは今生終わらせておきたいです。
とりわけ男女関係というのは思いが残りがちです。
好きだった、一緒になれなかった、途中で別れた、また一緒になりたい、傷ついた、傷つけられた、もっとこうしたかった、ああしたかった、こんなところが悔やまれる、etc..
いわば執着です。
当然ですよね。人間執着ない人なんかいませんし。やり直したい、は向上心とも言えるでしょう。
だけど、やはりもう悔いや執着の残る恋愛や生き方は私はしないと思います。(というかしたくないです。)
何というか、本当の意味でその人を解放してあげられるような、そして自分をも解放するような愛し方をしたいです。またできるようになりたいです。そうじゃないと、永遠にこれ続きます。疲れます。。(笑)
こちら側に閉じた愛ではなくて、向こう側に広く高く開いた愛し方をしていきたいと思うのです、、。
そういう愛こそ、永遠の愛と呼ぶのじゃないか、、って。そういう愛を人は持つことが出来るんだって、思ってます。そういう関係性を結ぶことができるんだって。
青い、、?
いいんです。青いんです、いつまでたっても、私。。(笑)