寒いけど、日差しは完全に春です。
体の中ももう春の芽吹きを感じています。
昨日はダンスセラピー、ファシリテーターのためのトレーニングコースの日でした。
生まれて初めて人前で即興のソロを踊りました。
ちょっと前に即興ダンスの感動を日記を書いたけれど、その時はペアで踊る体験、今回はそれに引き続きソロを体験する、というシナリオです。
今回も音楽なし、テーマなし、何もない四角い稽古場で、皆が見ている前で即興を踊る。こんな自分をさらけ出す行為ってあまりない機会です。やりたくなければ、やらなくていいのだけれど、せっかくのチャンスなので私はチャレンジしてみました。緊張したけど、こんな機会に感謝です。意外な自分を発見できることがよく理解できました。それは、ただエネルギーにまかせて踊る、ということではない。そこに観客がいる時に、人間同士の交わりが起こるのです。それが素晴らしい。
このクラスでは、言葉でシェアする事もとても大切な要素として扱っていて、普段言葉にしにくい感覚を言葉にするトレーンングも同時に行っていきます。私自身は、感覚を言葉にする、ということはかなり得意な方だと思いますが、それでも全く言葉にならない、それが新しい体験であればあるほど、意外性や、感動をともなえば伴うほど言葉になりにくかったりします。それでも、考えずに感じるままに言葉を発してみなさい、と先生は言います。
ちにみにこの先生、もともと舞台演劇や舞踏の世界にいた方なので、通常「セラピスト」としてイメージするタイプとはかなり違って、たとえば初対面とかではかなり無愛想です。(笑)最初、エ~、このヒトほんとにセラピストなのかな、、って思ったくらいです。言う事とかも(ま、とくにトレーニングコースだからというのもあると思いますが)かなりストレートです。今の日本のスピリチュアル・ブームに関わる人たちのことも、
(あんたら首から上でスピリチュアルやってんじゃないわよ)
みたいな~~感じが伝わってきます。(実際にそう仰ったわけではなく、あくまで伝わってくるのです)(笑)
そしてそんなところが私は何とも好きなのです。
このトレーニングコースもだんだん回を重ねてくると、仲間同士の信頼も生まれてきて、また違った雰囲気になっていきます。で、先生もだんだん遠慮しなくなってきて、昨日などはコンテンポラリーダンスをやっている女の子が即興を踊ったのですが、意識しすぎてしまったのか実力をだしきれていなかった事に先生はじれったく思ったのでしょう。
「もっと自分を投げ出してみなよっ! 自分を投げ出すっていうのはね、こうやるんだよ!」
って言って、ガ~~~ッという激しい音楽をかけてその彼女をひっぱって稽古場の真ん中で自分と一緒に踊らせていました。私たちは一瞬目が点。。でもその時の2人の踊り、すごかったです。あんな対決、久しぶりに見ました。何だか素敵でした。
で、私の前回の体験は自分の中ではかなり印象的で貴重な出来事だったのですが、うまく言えないながらも、先日提出したレポートの一部をここに転記します:
「とりわけ印象的だったのは、そこに観客がいる時に、自分の欲求とパートナーの意図やエネルギーの他に、もっと大きなエネルギーの中に包まれてゆき、その事が自分にさらに影響を与えるのだという実感を味わった事です。うまく言えないのですが、その事こそ実は大切なことであり、本来生きているということはこういう事なのだと、とても充実感のような嬉しい気持ちが湧いてきたことです。」
なんというかですね、私はこれまでの人生で自己を徹底して見つめていき、エネルギーと交流するとか、ハイアーセルフと交わるとか、高次のエネルギーを受け取るとか、ガイドと繋がるとか、そういう事をさんざんやってきて、それは本当に素晴らし体験なのだけれど、本当に人間とどれだけ交流していたのだろうと思うと疑問です。
天からも地からもエネルギーを受け取れる、でも本当にここに存在することの喜びは、「横(人)からも」エネルギーを交流させることができる、つまり
「共同創造する」
という喜びに向かっていくことだと思います。
それは、依存から癒し~自立、そして次には自立をも手放して共同創造を生きる、ということだと思います。
で、、昨日、はじめてソロに挑戦したわけですが、終わったあと皆が一言くれるのですが、そのコメントをきいて結構びっくりというか、思いもよらない素敵な事を言ってもらったのです。「女性性の表現」だったり、「宇宙と地球の交流」だったり、「女神が地上に降りて来て仕事をしているようだった、、」だったり。。
で、本人は実は何も考えていなくて、始まる前は「せっかくだから天使と踊ってみようかな」とか思っていたのですが、始まると自分の考えていたことなんてちっぽけな迷いくらいのもんで、もっと大きなうねりに包まれていきます。
そいで、時々、あ、ここもっとこう動きたいけど、体つくってないからダメだな~とか思ったりしているのです、、(^^;
それで勘違いして欲しくないのは、これがシャーマニックダンスのようなトランス系の動きとは違うものなのだ、ということです。エネルギーのままを踊る、ということでは共通しているのですが、それだと自分がまったくなくなってしまって、霊媒状態になってしまうのです。私はそれは何度も何度も体験したことがあるけれど、今私がやりたいのはそういうことではないのです。
はっきりとした明確な自己がある、しっかりと自分を抱いている、その上での一体感なのです。ここんとこが一番大切なところだと思っています。その喜びは、観客がいてくれるからこそ、他の人間との交流がその喜びをもたらしてくれるのだ、という事です。
神に捧げる踊りも素晴らしい、でも人と一体となって一緒に互いの内なる神を発見していく踊り、この喜びは凄い、、ということを片鱗として実感しました。
踊りおわってみると、ハートの奥がうずき、「大地讃頌」という言葉が浮かび上がってきました。そして、やはり喜びと快感、、。何か喜びの予感のような、ドキドキして泣きそうになったりしました(^^; やっぱり春だからでしょうか。。(笑)
先生はセラピーとしてのダンスを教えている人なので人の踊りについて普段はコメントしたりしないのですが珍しく、「あなた踊り変わったよね。ちゃんと人間と交流していたよ。(笑)」と言われました。
そういえば、1年くらい前に、ずっとお世話になっている整体の先生から、体がだいぶしっかりしてきたことを指摘され、「地球へようこそ、って感じになったね」とも言われました(笑)
あ~、40年かかっちまいました。^^;
ようやく私も現実生活を楽しめるようになったのかもしれません。
今年は踊るよ~♪
みんなも一緒に踊ろう♪
寒いけど、日差しは完全に春です。
体の中ももう春の芽吹きを感じています。
昨日はダンスセラピー、ファシリテーターのためのトレーニングコースの日でした。
生まれて初めて人前で即興のソロを踊りました。
ちょっと前に即興ダンスの感動を日記を書いたけれど、その時はペアで踊る体験、今回はそれに引き続きソロを体験する、というシナリオです。
今回も音楽なし、テーマなし、何もない四角い稽古場で、皆が見ている前で即興を踊る。こんな自分をさらけ出す行為ってあまりない機会です。やりたくなければ、やらなくていいのだけれど、せっかくのチャンスなので私はチャレンジしてみました。緊張したけど、こんな機会に感謝です。意外な自分を発見できることがよく理解できました。それは、ただエネルギーにまかせて踊る、ということではない。そこに観客がいる時に、人間同士の交わりが起こるのです。それが素晴らしい。
このクラスでは、言葉でシェアする事もとても大切な要素として扱っていて、普段言葉にしにくい感覚を言葉にするトレーンングも同時に行っていきます。私自身は、感覚を言葉にする、ということはかなり得意な方だと思いますが、それでも全く言葉にならない、それが新しい体験であればあるほど、意外性や、感動をともなえば伴うほど言葉になりにくかったりします。それでも、考えずに感じるままに言葉を発してみなさい、と先生は言います。
ちにみにこの先生、もともと舞台演劇や舞踏の世界にいた方なので、通常「セラピスト」としてイメージするタイプとはかなり違って、たとえば初対面とかではかなり無愛想です。(笑)最初、エ~、このヒトほんとにセラピストなのかな、、って思ったくらいです。言う事とかも(ま、とくにトレーニングコースだからというのもあると思いますが)かなりストレートです。今の日本のスピリチュアル・ブームに関わる人たちのことも、
(あんたら首から上でスピリチュアルやってんじゃないわよ)
みたいな~~感じが伝わってきます。(実際にそう仰ったわけではなく、あくまで伝わってくるのです)(笑)
そしてそんなところが私は何とも好きなのです。
このトレーニングコースもだんだん回を重ねてくると、仲間同士の信頼も生まれてきて、また違った雰囲気になっていきます。で、先生もだんだん遠慮しなくなってきて、昨日などはコンテンポラリーダンスをやっている女の子が即興を踊ったのですが、意識しすぎてしまったのか実力をだしきれていなかった事に先生はじれったく思ったのでしょう。
「もっと自分を投げ出してみなよっ! 自分を投げ出すっていうのはね、こうやるんだよ!」
って言って、ガ~~~ッという激しい音楽をかけてその彼女をひっぱって稽古場の真ん中で自分と一緒に踊らせていました。私たちは一瞬目が点。。でもその時の2人の踊り、すごかったです。あんな対決、久しぶりに見ました。何だか素敵でした。
で、私の前回の体験は自分の中ではかなり印象的で貴重な出来事だったのですが、うまく言えないながらも、先日提出したレポートの一部をここに転記します:
「とりわけ印象的だったのは、そこに観客がいる時に、自分の欲求とパートナーの意図やエネルギーの他に、もっと大きなエネルギーの中に包まれてゆき、その事が自分にさらに影響を与えるのだという実感を味わった事です。うまく言えないのですが、その事こそ実は大切なことであり、本来生きているということはこういう事なのだと、とても充実感のような嬉しい気持ちが湧いてきたことです。」
なんというかですね、私はこれまでの人生で自己を徹底して見つめていき、エネルギーと交流するとか、ハイアーセルフと交わるとか、高次のエネルギーを受け取るとか、ガイドと繋がるとか、そういう事をさんざんやってきて、それは本当に素晴らし体験なのだけれど、本当に人間とどれだけ交流していたのだろうと思うと疑問です。
天からも地からもエネルギーを受け取れる、でも本当にここに存在することの喜びは、「横(人)からも」エネルギーを交流させることができる、つまり
「共同創造する」
という喜びに向かっていくことだと思います。
それは、依存から癒し~自立、そして次には自立をも手放して共同創造を生きる、ということだと思います。
で、、昨日、はじめてソロに挑戦したわけですが、終わったあと皆が一言くれるのですが、そのコメントをきいて結構びっくりというか、思いもよらない素敵な事を言ってもらったのです。「女性性の表現」だったり、「宇宙と地球の交流」だったり、「女神が地上に降りて来て仕事をしているようだった、、」だったり。。
で、本人は実は何も考えていなくて、始まる前は「せっかくだから天使と踊ってみようかな」とか思っていたのですが、始まると自分の考えていたことなんてちっぽけな迷いくらいのもんで、もっと大きなうねりに包まれていきます。
そいで、時々、あ、ここもっとこう動きたいけど、体つくってないからダメだな~とか思ったりしているのです、、(^^;
それで勘違いして欲しくないのは、これがシャーマニックダンスのようなトランス系の動きとは違うものなのだ、ということです。エネルギーのままを踊る、ということでは共通しているのですが、それだと自分がまったくなくなってしまって、霊媒状態になってしまうのです。私はそれは何度も何度も体験したことがあるけれど、今私がやりたいのはそういうことではないのです。
はっきりとした明確な自己がある、しっかりと自分を抱いている、その上での一体感なのです。ここんとこが一番大切なところだと思っています。その喜びは、観客がいてくれるからこそ、他の人間との交流がその喜びをもたらしてくれるのだ、という事です。
神に捧げる踊りも素晴らしい、でも人と一体となって一緒に互いの内なる神を発見していく踊り、この喜びは凄い、、ということを片鱗として実感しました。
踊りおわってみると、ハートの奥がうずき、「大地讃頌」という言葉が浮かび上がってきました。そして、やはり喜びと快感、、。何か喜びの予感のような、ドキドキして泣きそうになったりしました(^^; やっぱり春だからでしょうか。。(笑)
先生はセラピーとしてのダンスを教えている人なので人の踊りについて普段はコメントしたりしないのですが珍しく、「あなた踊り変わったよね。ちゃんと人間と交流していたよ。(笑)」と言われました。
そういえば、1年くらい前に、ずっとお世話になっている整体の先生から、体がだいぶしっかりしてきたことを指摘され、「地球へようこそ、って感じになったね」とも言われました(笑)
あ~、40年かかっちまいました。^^;
ようやく私も現実生活を楽しめるようになったのかもしれません。
今年は踊るよ~♪
みんなも一緒に踊ろう♪