私の学生時代や、20代の頃の話をすると、結構驚かれる方が多いのですが、わりと暗かったのです。
暗かったというか、より正確に言うと、一見そつなく誰とでも接することが出来るのですが、実はとても疲れていました。
当時は気づいてさえいませんでしたが、人といると、自分の中心軸が無意識に他者へと移ってしまうからです。
人付き合いというものは、あまり好きではありませんでした。ごく一部の人間を除いては。
学校や会社やあらゆるグループなどの組織も、とても苦手と感じていました。
とりわけ複数の人と一緒に過ごすことが苦手でした。
そのような中でも、自分の内側に密かな「個人主義」を保ち続けることで、この世で生きるバランスをとっていたように思います。
そんな人は、実はとっても多いのかもしれませんね。
でも、今は違うのです。
自分を省みて
「まさか、自分がこんなに《人》というものを好きになるとは、思ってもいなかった」
と感じています。
自分一人でやってしまう方が容易いことは、この世の中いくらでもありますよね。
でも、それは自立する段階ではとても必要なことですが、そのままだと次の段階へと進むことは出来ないのです。
《人とのかかわり》
その中で、楽しく共同創造をしていくこと。
それは、徹底的に自分を知って行く道でもあるのです。
仕事であれ、より個人的な活動であれ、
この仲間やチームや、縁ある人達とともに何かをすることで学び合い、癒し合い、助け合い、支え合い、人として生きる喜びをともに味わう。
この喜びの体験のために、これだけ多種多様な人間が、この世に存在するのだと思うのです。
自分とは全く違う個性や考え方を持った人達と、心も体も頭も使い、どうしたらよりよく生けるだろうかと、努力する場所がこの地上でのお仕事。
それは、スピリチュアルな成長の段階にもいえることだと思います。
一人一人の道が、他の人と触れ合い、交差する中で気づきが生まれます。
また自分一人が癒されて、解脱して、悟ってオワリ、ということはないでしょう。必ず他の人との関わりの中で、存在意味が見えてくることでしょう。
とりわけこの時代、世界は狭くなっていて、どんどん自分の世界を広げてくれるチャンスが訪れるようになっています。
その中にあって、昔の私のように疲れているのであれば、それはとても残念でモッタイないこと。
いえ、あの時の私にはどうにもしようが無かった。
でも、今は違う。
何がその間にあったのかといえば、それを
《癒し》
と呼ぶのでしょう。
沢山の要らないものを、トラウマと呼んでもカルマと呼んでもいいでしょう。
ただただ、浄化してきたのです。
要らないものを、捨ててきただけのこと。
どうか、性格だから、と諦めないで。
方法は、いくらでもあるのです。
そして、基本は一つ なのです。
とてもシンプルなことなのです。
どうか、どうか、それを知っていただきたい。
生きにくいのは性格のせいじゃない、環境のせいじゃない。
変えることの出来るものが、ほとんどなのです。
一人でも多くの人に生きやすくなってもらいたいと思うのです。
生きていくことは、苦しみのためではないことを、
そして、たとえ苦しみがあろうとも、希望と恩恵の見いだせる生き方があることを、心から知って欲しいのです。
今生きている人が、これからの未来の人類地球を創ります。
あなたという魂の幸せを、心から祈ります。
私の学生時代や、20代の頃の話をすると、結構驚かれる方が多いのですが、わりと暗かったのです。
暗かったというか、より正確に言うと、一見そつなく誰とでも接することが出来るのですが、実はとても疲れていました。
当時は気づいてさえいませんでしたが、人といると、自分の中心軸が無意識に他者へと移ってしまうからです。
人付き合いというものは、あまり好きではありませんでした。ごく一部の人間を除いては。
学校や会社やあらゆるグループなどの組織も、とても苦手と感じていました。
とりわけ複数の人と一緒に過ごすことが苦手でした。
そのような中でも、自分の内側に密かな「個人主義」を保ち続けることで、この世で生きるバランスをとっていたように思います。
そんな人は、実はとっても多いのかもしれませんね。
でも、今は違うのです。
自分を省みて
「まさか、自分がこんなに《人》というものを好きになるとは、思ってもいなかった」
と感じています。
自分一人でやってしまう方が容易いことは、この世の中いくらでもありますよね。
でも、それは自立する段階ではとても必要なことですが、そのままだと次の段階へと進むことは出来ないのです。
《人とのかかわり》
その中で、楽しく共同創造をしていくこと。
それは、徹底的に自分を知って行く道でもあるのです。
仕事であれ、より個人的な活動であれ、
この仲間やチームや、縁ある人達とともに何かをすることで学び合い、癒し合い、助け合い、支え合い、人として生きる喜びをともに味わう。
この喜びの体験のために、これだけ多種多様な人間が、この世に存在するのだと思うのです。
自分とは全く違う個性や考え方を持った人達と、心も体も頭も使い、どうしたらよりよく生けるだろうかと、努力する場所がこの地上でのお仕事。
それは、スピリチュアルな成長の段階にもいえることだと思います。
一人一人の道が、他の人と触れ合い、交差する中で気づきが生まれます。
また自分一人が癒されて、解脱して、悟ってオワリ、ということはないでしょう。必ず他の人との関わりの中で、存在意味が見えてくることでしょう。
とりわけこの時代、世界は狭くなっていて、どんどん自分の世界を広げてくれるチャンスが訪れるようになっています。
その中にあって、昔の私のように疲れているのであれば、それはとても残念でモッタイないこと。
いえ、あの時の私にはどうにもしようが無かった。
でも、今は違う。
何がその間にあったのかといえば、それを
《癒し》
と呼ぶのでしょう。
沢山の要らないものを、トラウマと呼んでもカルマと呼んでもいいでしょう。
ただただ、浄化してきたのです。
要らないものを、捨ててきただけのこと。
どうか、性格だから、と諦めないで。
方法は、いくらでもあるのです。
そして、基本は一つ なのです。
とてもシンプルなことなのです。
どうか、どうか、それを知っていただきたい。
生きにくいのは性格のせいじゃない、環境のせいじゃない。
変えることの出来るものが、ほとんどなのです。
一人でも多くの人に生きやすくなってもらいたいと思うのです。
生きていくことは、苦しみのためではないことを、
そして、たとえ苦しみがあろうとも、希望と恩恵の見いだせる生き方があることを、心から知って欲しいのです。
今生きている人が、これからの未来の人類地球を創ります。
あなたという魂の幸せを、心から祈ります。