2008年に訪れたエジンバラにて
先頃のスコットランド独立か否か?を問う国民投票。
結局イギリスと一緒にとどまる結果になりましたが、このスコットランド人自身による投票は、世界中の人々の注目を浴びました。
独立に賛成か反対か、という理論はさておき(本当にスコットランドの人達の深層意識からそれを望むなら、そうなるのだと思います)
私にはとても感じ入ったポイントがあります。
それは、とあるニュース番組で現地リポーター(スコットランドにいる日本人記者)が話していた内容と、それに対する日本人キャスターのコメントです。
国民投票で決まったということは、住民の誰もが独立か否かの意思表示をしたということで、家庭でも職場でも地域でも個人によって意見が分かれるのも当然のことで、今後は国民同士の対立が問題になるのではないですか?という質問がありました。
これに対して現地記者は、
「そうでもないですね。それぞれ違う意見を持っていても、そこは同じスコットランド人。基本的に同胞、仲間同士という感覚がありますから、協力してよい国にしていこうという感じはあります。」
と報告すると
日本人キャスターは
「そうなんですか。だとしたら、かなり成熟したものを感じますね。」
と、答えていました。
これを聞いて、まさにコミュニケーションの成熟度を私も感じました。
もちろん、そうはいっても意見の対立による衝突や反目なども無くはないのでしょうが、日本人的な感覚からすると、意見が違う人とは協力し合ったり、調和的なコニュニケーションをとるのが難しい、という思い込みがあります。
でも、私自身も昔ヨーロッパに住んでいて感じたことは、意見が違うということと、相手と対立する、ということは全く別のことだということです。
日本人はとかく、意見が違うと相手に反感を持ってしまったり、調和を重んじるあまりそれ以上議論しなかったり、または相手に自分の意見を否定されると、自分を否定されたかのように怒ってしまったり・・
そんな事がよくあります。
上記のレポーターの報告と日本人キャスターの反応をきいて、まだまだこの辺りの
《違う意見を持った人達と、どのように接して、協力して社会をつくりあげていくか》
といったことは、日本人の本当の成長にとって大きな課題のままなのだなぁ、と思いました。
治安がいいとか、協調性があるとか、一丸となりやすいとか、勤勉で思いやりがあるといった日本人の素晴らしい特質がゆえに、一人一人の自由や本心を押さえつけている社会なのだとしたら、まだまだそれは、未熟な社会だからです。
社会の成熟は、一人一人の心の成熟の度合いからなっていると思います。
21世紀は心の時代と言われますが、ただ生きるため、食べるための豊かさ、物質的、経済的発展を求めた20世紀から、どのように自分らしく生きていくのかをそれぞれが問われる時代。
そんな難しいこと言われても、、と思うかもしれませんが
本当に今抱えていることが逃げないで、自分の目の前にあることにしっかりと向き合っていくところから、自分の内なる成熟度はあがってきます。
身近なところで、または遠い外国のことまで
世界にどんな困難な問題がわき起こってきたとしても
すべての根本は
《一人一人が創造(クリエイト)していること》
なのです。
そう考えると、今、この時、自分の事柄にしっかりと取り組む事は
思っているより遥かに意味があること・・
そう理解することが出来ると思います。
先頃のスコットランド独立か否か?を問う国民投票。
結局イギリスと一緒にとどまる結果になりましたが、このスコットランド人自身による投票は、世界中の人々の注目を浴びました。
独立に賛成か反対か、という理論はさておき(本当にスコットランドの人達の深層意識からそれを望むなら、そうなるのだと思います)
私にはとても感じ入ったポイントがあります。
それは、とあるニュース番組で現地リポーター(スコットランドにいる日本人記者)が話していた内容と、それに対する日本人キャスターのコメントです。
国民投票で決まったということは、住民の誰もが独立か否かの意思表示をしたということで、家庭でも職場でも地域でも個人によって意見が分かれるのも当然のことで、今後は国民同士の対立が問題になるのではないですか?という質問がありました。
これに対して現地記者は、
「そうでもないですね。それぞれ違う意見を持っていても、そこは同じスコットランド人。基本的に同胞、仲間同士という感覚がありますから、協力してよい国にしていこうという感じはあります。」
と報告すると
日本人キャスターは
「そうなんですか。だとしたら、かなり成熟したものを感じますね。」
と、答えていました。
これを聞いて、まさにコミュニケーションの成熟度を私も感じました。
もちろん、そうはいっても意見の対立による衝突や反目なども無くはないのでしょうが、日本人的な感覚からすると、意見が違う人とは協力し合ったり、調和的なコニュニケーションをとるのが難しい、という思い込みがあります。
でも、私自身も昔ヨーロッパに住んでいて感じたことは、意見が違うということと、相手と対立する、ということは全く別のことだということです。
日本人はとかく、意見が違うと相手に反感を持ってしまったり、調和を重んじるあまりそれ以上議論しなかったり、または相手に自分の意見を否定されると、自分を否定されたかのように怒ってしまったり・・
そんな事がよくあります。
上記のレポーターの報告と日本人キャスターの反応をきいて、まだまだこの辺りの
《違う意見を持った人達と、どのように接して、協力して社会をつくりあげていくか》
といったことは、日本人の本当の成長にとって大きな課題のままなのだなぁ、と思いました。
治安がいいとか、協調性があるとか、一丸となりやすいとか、勤勉で思いやりがあるといった日本人の素晴らしい特質がゆえに、一人一人の自由や本心を押さえつけている社会なのだとしたら、まだまだそれは、未熟な社会だからです。
社会の成熟は、一人一人の心の成熟の度合いからなっていると思います。
21世紀は心の時代と言われますが、ただ生きるため、食べるための豊かさ、物質的、経済的発展を求めた20世紀から、どのように自分らしく生きていくのかをそれぞれが問われる時代。
そんな難しいこと言われても、、と思うかもしれませんが
本当に今抱えていることが逃げないで、自分の目の前にあることにしっかりと向き合っていくところから、自分の内なる成熟度はあがってきます。
身近なところで、または遠い外国のことまで
世界にどんな困難な問題がわき起こってきたとしても
すべての根本は
《一人一人が創造(クリエイト)していること》
なのです。
そう考えると、今、この時、自分の事柄にしっかりと取り組む事は
思っているより遥かに意味があること・・
そう理解することが出来ると思います。