彼女の恋はいつも真剣で、純粋だった。

恋に落ちれば、その人はいつも運命の人に違いなかったし
この人と出会うために生まれてきたと思った。

打算や妥協や、相手が自分に何を与えてくれるかで好きになることなんてなかったし、
世の中にはそんなに上手に計算しながら恋愛できる人がいると知ったのも
随分大人になってからだった。

彼女の中で大切なのはいつも、どんな状況であれ
どれだけ自分が相手を愛することができるか、だった。

誰に教えられたわけでもないし
誰かのお手本があるわけでもなかった。

少女の頃からずっとずっと、その究極の、愛する能力のようなものを
試しているかのようだった。

それはきっと苦しい時でさえ
彼女の中で、密かな快感であったに違いないのだ。

愛されることを求めていないわけではなくて
愛されることに幸せを感じ、愛される自分でありたいとも思っていた。

けれど、どう考えても彼女の中に
たとえどんな状況下であっても、
相手が自分をどの位愛してくれているか、いないかに関係なく
愛することの方が価値がある
そんな基準があるかのようだった。

愛し、愛される
誰もが望む理想的な関係性は、それに比べたらまるで
大した価値がないと、彼女の内側のルールが主張しているかのようだった。

そんな、かつて君臨していたルールはどこから来ていたのか。

彼女はふと、ある師の一言を思い出す。

「すべての人間の欲求は最終的には、神へと通じる聖なる欲求へと繋がっている、という考え方がある」

恋愛という愛情表現は、その意味からいえば

神聖なる愛に一番近いようでいて、極端に遠い顕われかもしれない。

ここで言う「神」はもちろん、名前のある人格化された神々ではなく、宇宙の根源であるとか、大いなるすべてを包括するもの、といった意味での神。

人間がそこから来て、そこへ還っていく
或は、すでに自らがそこと一体であるのに、自覚できていないところの神。

そこへの帰還という旅を体験するため
人はそれぞれ、思い思いの道筋やドラマを演じ、その体験の中で遊んでいる。

もう遊ぶのにも飽きて、帰っていらっしゃいという宇宙の母の呼び声が聞こえるまで、汗まみれ泥まみれ、時には涙まみれ血まみれになって遊び続けることを選ぶ。

恋愛という遊びは、中でも強烈に彼らを惹き付け
甘味な苦しみを与え続けるプレイグラウンド。
人はさまざまな自分なりのルールでここで遊ぶのだ。
その遊びが、自分で決めたルールのある遊びに過ぎないことは、
その遊びを終えてそれを見るまで気づかない。

そこに、神聖で、特別な意味合いさえ与え続けることで
ロマンスとしてのストーリーは一層盛り上がり、転生を超えてそれは
彼らの魂に刻み込まれ、生き続ける。

彼女とて、もちろん例外ではない。

何故それを、繰り返していたかを本当に知るまでは。

恋愛の愛ということが何の投影だったのか

自らの魂が本当に求めていたのは何だったのか

彼女が得ていたエクスタシーという快感は、何の入り口だったのか。

人はみなこの世に来て、気が済むまで遊び、体験し尽くすまでは
それを諦めないのかもしれない。

でも人生のある時、ある問いが起こって
それが最大の魅力ある関心事になる。

それは、別の言葉で言うならば
永遠に去らないエクスタシー。

その時、彼女の目の前にあるのはきっと
最後の恋
なのかもしれない。

 

 

アメブロも日々更新中!

 

彼女の恋はいつも真剣で、純粋だった。

恋に落ちれば、その人はいつも運命の人に違いなかったし
この人と出会うために生まれてきたと思った。

打算や妥協や、相手が自分に何を与えてくれるかで好きになることなんてなかったし、
世の中にはそんなに上手に計算しながら恋愛できる人がいると知ったのも
随分大人になってからだった。

彼女の中で大切なのはいつも、どんな状況であれ
どれだけ自分が相手を愛することができるか、だった。

誰に教えられたわけでもないし
誰かのお手本があるわけでもなかった。

少女の頃からずっとずっと、その究極の、愛する能力のようなものを
試しているかのようだった。

それはきっと苦しい時でさえ
彼女の中で、密かな快感であったに違いないのだ。

愛されることを求めていないわけではなくて
愛されることに幸せを感じ、愛される自分でありたいとも思っていた。

けれど、どう考えても彼女の中に
たとえどんな状況下であっても、
相手が自分をどの位愛してくれているか、いないかに関係なく
愛することの方が価値がある
そんな基準があるかのようだった。

愛し、愛される
誰もが望む理想的な関係性は、それに比べたらまるで
大した価値がないと、彼女の内側のルールが主張しているかのようだった。

そんな、かつて君臨していたルールはどこから来ていたのか。

彼女はふと、ある師の一言を思い出す。

「すべての人間の欲求は最終的には、神へと通じる聖なる欲求へと繋がっている、という考え方がある」

恋愛という愛情表現は、その意味からいえば

神聖なる愛に一番近いようでいて、極端に遠い顕われかもしれない。

ここで言う「神」はもちろん、名前のある人格化された神々ではなく、宇宙の根源であるとか、大いなるすべてを包括するもの、といった意味での神。

人間がそこから来て、そこへ還っていく
或は、すでに自らがそこと一体であるのに、自覚できていないところの神。

そこへの帰還という旅を体験するため
人はそれぞれ、思い思いの道筋やドラマを演じ、その体験の中で遊んでいる。

もう遊ぶのにも飽きて、帰っていらっしゃいという宇宙の母の呼び声が聞こえるまで、汗まみれ泥まみれ、時には涙まみれ血まみれになって遊び続けることを選ぶ。

恋愛という遊びは、中でも強烈に彼らを惹き付け
甘味な苦しみを与え続けるプレイグラウンド。
人はさまざまな自分なりのルールでここで遊ぶのだ。
その遊びが、自分で決めたルールのある遊びに過ぎないことは、
その遊びを終えてそれを見るまで気づかない。

そこに、神聖で、特別な意味合いさえ与え続けることで
ロマンスとしてのストーリーは一層盛り上がり、転生を超えてそれは
彼らの魂に刻み込まれ、生き続ける。

彼女とて、もちろん例外ではない。

何故それを、繰り返していたかを本当に知るまでは。

恋愛の愛ということが何の投影だったのか

自らの魂が本当に求めていたのは何だったのか

彼女が得ていたエクスタシーという快感は、何の入り口だったのか。

人はみなこの世に来て、気が済むまで遊び、体験し尽くすまでは
それを諦めないのかもしれない。

でも人生のある時、ある問いが起こって
それが最大の魅力ある関心事になる。

それは、別の言葉で言うならば
永遠に去らないエクスタシー。

その時、彼女の目の前にあるのはきっと
最後の恋
なのかもしれない。

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