「あなたは、耳には聞こえない、非常に微細な音を聞いているね」
何年も前ですが、スピリチュアリストとしての先輩にそう言われたことがあります。
目に見えない能力というと、一般的には「不思議パワーを持ったヒト」という形で十把一絡げにされがちですが、実はいくつもの個性があります。
その説明は今日の本題ではないのでちょっと置いておきますが、私が
「波動感知リーディング」
ということを教えているのは、この「波動感知」という言葉が、数あるリーディングの中でも私に一番ぴったりくるからです。
昨日ある方の話をうかがっていて、そのお話の中にいくつも目の醒めるような発見がありました。
この世の真理を探求するのは、生まれてこの方、私の趣味(?)でもライフワークでもありますが、この世の「始め」(それも一つの概念に過ぎないのでしょうが)の話は何度語られてもワクワクします。
「はじめに言葉ありき」
「言葉は神とともにあった」
これは私にとっては馴染み深い聖書の言葉ですが
その後で
「光よあれ」
と神様が命じて光ができた、とあります。
つまり光と闇ができる前から「言葉」があった
って、すごくないですか?
そして昨日私がハマッたのは、
「言葉の前は、ただその振動だけがあったようですね」
という言葉でした。
「振動」
そう、つまりそのバイブレーション
「波動」
だけがあったのですよね。
この説明は私にとって、まさにどツボ(!)でした(笑)
なぜ私が、目に見えない世界であったとしても「見える、聞こえる」が、表面的な事に感じられていたのか、分かったように感じました。
もっと大切なものがある、という感覚の裏側にあるものです。
だから禅の世界では、この「目に見えないものを見る・聞く」世界を「魔境」と呼ぶのでしょうね。
が、しかし!
その世界がまやかし、とか、偽り、という意味では全然ないのです。
禅的な世界では、このリアルな物質社会も含めて「この世は幻」と言っているのですから、この世の幻具合に比べれば、目に見えない世界の「見える・聞こえる」や、霊界などの意識界の方がまだリアルかもしれないですね(笑)
と、話が少しヤヤこしくなったので元に戻します。
目に見えない世界は、私にとって、この物質的な3次元社会と同じくらいリアルに存在します。
しかし、その事そのものが大切なのではないということ。
そこに存在の真髄である波動というものがあって、それが魂や肉体を形づくり、そこに一定の方向性が存在し始めるということ。
それは個々の命や個性、として私たちは把握することに慣れているけれど、本当はすべての生命(他の人も、動物、植物、鉱物ほか、惑星としての命も含めて)との関係性の中で、人智を超えた壮大なシステムの中で作動しているということ。
そして
その事を理解(頭ではなく、存在として)し始めると、自分がこの世で進むべき方向性が、す~っと見えてきます。或は姿を顕します。
「今」するべき事として、具体的な行為の形で、落とし込めてきます。
それは、今すぐ達成するとか、何年かかるとかいう事は問題ではなくて
大切なことは、「それ」を生きることだと思う。
私自身、昨日の朝、今後の新たな行動への指針が霧が晴れるように見通せた、という経験をしました。
さらに1日かけて、触れ合う方々を通して、いくつかの補足の気づきをいただきました。
こうした流れに入ると、目にするもの、耳にするもの、起こる現象、ひとつひとつが本当に大切なメッセージだと改めて感じます。
もちろん、まだまだ3次元に生きている私たちですから、意図して行動することが大事で、それを形ある世界に創っていく必要があります。
でも、このまどろっこしい、どんくさくてヤヤこしい世界を生きる楽しみ(!?)は、もうそんなに長くはないかもしれません。
日々、精一杯味わっていきましょう。
くれぐれも大切なことは
「頭」で考えたり、
「頭」で理解して得るものではない。
それは、一つの便利なツールにすぎない。
あなたが、今、本当に感じていること
それがすべてだと思います。
私自身も、この気づきの道をさらに進んでいこうと思います。
地球上に、何故こんなに多種多様な人間がいるのか、どうしてこの世界は、こんなに複雑になっちゃったのか、、と思っていましたが
その事の深い恩恵を実感することのできた一日でした。
感謝・合掌
「あなたは、耳には聞こえない、非常に微細な音を聞いているね」
何年も前ですが、スピリチュアリストとしての先輩にそう言われたことがあります。
目に見えない能力というと、一般的には「不思議パワーを持ったヒト」という形で十把一絡げにされがちですが、実はいくつもの個性があります。
その説明は今日の本題ではないのでちょっと置いておきますが、私が
「波動感知リーディング」
ということを教えているのは、この「波動感知」という言葉が、数あるリーディングの中でも私に一番ぴったりくるからです。
昨日ある方の話をうかがっていて、そのお話の中にいくつも目の醒めるような発見がありました。
この世の真理を探求するのは、生まれてこの方、私の趣味(?)でもライフワークでもありますが、この世の「始め」(それも一つの概念に過ぎないのでしょうが)の話は何度語られてもワクワクします。
「はじめに言葉ありき」
「言葉は神とともにあった」
これは私にとっては馴染み深い聖書の言葉ですが
その後で
「光よあれ」
と神様が命じて光ができた、とあります。
つまり光と闇ができる前から「言葉」があった
って、すごくないですか?
そして昨日私がハマッたのは、
「言葉の前は、ただその振動だけがあったようですね」
という言葉でした。
「振動」
そう、つまりそのバイブレーション
「波動」
だけがあったのですよね。
この説明は私にとって、まさにどツボ(!)でした(笑)
なぜ私が、目に見えない世界であったとしても「見える、聞こえる」が、表面的な事に感じられていたのか、分かったように感じました。
もっと大切なものがある、という感覚の裏側にあるものです。
だから禅の世界では、この「目に見えないものを見る・聞く」世界を「魔境」と呼ぶのでしょうね。
が、しかし!
その世界がまやかし、とか、偽り、という意味では全然ないのです。
禅的な世界では、このリアルな物質社会も含めて「この世は幻」と言っているのですから、この世の幻具合に比べれば、目に見えない世界の「見える・聞こえる」や、霊界などの意識界の方がまだリアルかもしれないですね(笑)
と、話が少しヤヤこしくなったので元に戻します。
目に見えない世界は、私にとって、この物質的な3次元社会と同じくらいリアルに存在します。
しかし、その事そのものが大切なのではないということ。
そこに存在の真髄である波動というものがあって、それが魂や肉体を形づくり、そこに一定の方向性が存在し始めるということ。
それは個々の命や個性、として私たちは把握することに慣れているけれど、本当はすべての生命(他の人も、動物、植物、鉱物ほか、惑星としての命も含めて)との関係性の中で、人智を超えた壮大なシステムの中で作動しているということ。
そして
その事を理解(頭ではなく、存在として)し始めると、自分がこの世で進むべき方向性が、す~っと見えてきます。或は姿を顕します。
「今」するべき事として、具体的な行為の形で、落とし込めてきます。
それは、今すぐ達成するとか、何年かかるとかいう事は問題ではなくて
大切なことは、「それ」を生きることだと思う。
私自身、昨日の朝、今後の新たな行動への指針が霧が晴れるように見通せた、という経験をしました。
さらに1日かけて、触れ合う方々を通して、いくつかの補足の気づきをいただきました。
こうした流れに入ると、目にするもの、耳にするもの、起こる現象、ひとつひとつが本当に大切なメッセージだと改めて感じます。
もちろん、まだまだ3次元に生きている私たちですから、意図して行動することが大事で、それを形ある世界に創っていく必要があります。
でも、このまどろっこしい、どんくさくてヤヤこしい世界を生きる楽しみ(!?)は、もうそんなに長くはないかもしれません。
日々、精一杯味わっていきましょう。
くれぐれも大切なことは
「頭」で考えたり、
「頭」で理解して得るものではない。
それは、一つの便利なツールにすぎない。
あなたが、今、本当に感じていること
それがすべてだと思います。
私自身も、この気づきの道をさらに進んでいこうと思います。
地球上に、何故こんなに多種多様な人間がいるのか、どうしてこの世界は、こんなに複雑になっちゃったのか、、と思っていましたが
その事の深い恩恵を実感することのできた一日でした。
感謝・合掌