自分が他人からどう見られるかを、すごく気にする人が沢山います。
今の子供たちは、昔の子供たちよりもはるかに他人の顔色を読んで行動する子が多く、そうでないと仲間はずれになるので、学校でも家庭の中でも、無意識に友達や親の顔色を読んで物事の選択をする傾向にあるのだそうです。
本当はこうしたい、こう言いたい、こうありたい、という気持ちを無視して生き続けるので、もう自分が何が好きとか、どうしたいかなんて、すっかり分からなくなってしまうのです。
いわゆる、いい人、協調性のある人、にはなれるかもしれませんが、これでは絶対に幸せな人生なんて送れません。周りからは幸せに見えても、本人の心の中が幸せでなければ、ちっとも幸せではないからです。
今、日本にこんなに心を病んでいる人が多いのは、しっかりと自分に中心軸をおく、その事の大切さがあまりにも理解されていないためと思っています。
なぜならば、これだけ激動の時代に、価値観も多様化していて、情報だけが溢れているので、その人にとって大切なものはそれぞれ違うのに、それが何なのか見えにくい。
そんな中で、人からどう思われるかを気にして、気に入られたいための行動をし続けると、永遠に答えは見つからない。
我がまま は、本当は あるがまま。
我がままはエゴイスティックで、日本ではとかく悪いことと思われがちですが、本当に自分の思いや願いを貫く、という意味でのわがままは、
最終的に絶対に人のためになれる。
好き、興味がある、やってみたい、やってみたら、もっとこうしたい、もっと知りたい、もっと幸せになりたい、と言って追求しているうちに、その幸せ感は絶対に自分だけの幸せではなく、人のためになっちゃうように人間て出来ている。
そういう答えを誰もが内側にもっているから、人間て素晴らしいな~、と思います。だから諦めちゃもったいないな。
そんな大人が増えたなら、それだけで子供たちへの素晴らしい教育になる。
私はこう感じるし、こう思う、こうしたい、という事が他人から好ましくない反応を得たとしても、それは大きな視点からみれば、自分の中にある「何か」を反映しているだけ。
他の人というのは、そういう意味では自分の一部でもあり、果てしなくありがたい存在。
時にはそれを感じとるために、「何もしない」という時間も魂には必要かもしれません。
どんなパワーのある、尊敬できる、あるいは癒してくれる、素晴らしい人に出会ったとしても、その人を素晴らしいと感じることが出来るということは、自分の中にもそのような要素があるから。
自分の中心軸を、他の人に移してしまうと、おかしなことになります。
自分を愛する
ということは、自分の純粋な、子供らしい、好きとか、トキメクとか、何の得にもならないけど興味があるとか、そんな素直な感覚を
大切にしてあげることからだと思います。
自分にとって、今 がどんな時なのか理解できると
焦ることもなくなるし
ただそれをして、納得感があるので
心には平安が訪れます。
自分が他人からどう見られるかを、すごく気にする人が沢山います。
今の子供たちは、昔の子供たちよりもはるかに他人の顔色を読んで行動する子が多く、そうでないと仲間はずれになるので、学校でも家庭の中でも、無意識に友達や親の顔色を読んで物事の選択をする傾向にあるのだそうです。
本当はこうしたい、こう言いたい、こうありたい、という気持ちを無視して生き続けるので、もう自分が何が好きとか、どうしたいかなんて、すっかり分からなくなってしまうのです。
いわゆる、いい人、協調性のある人、にはなれるかもしれませんが、これでは絶対に幸せな人生なんて送れません。周りからは幸せに見えても、本人の心の中が幸せでなければ、ちっとも幸せではないからです。
今、日本にこんなに心を病んでいる人が多いのは、しっかりと自分に中心軸をおく、その事の大切さがあまりにも理解されていないためと思っています。
なぜならば、これだけ激動の時代に、価値観も多様化していて、情報だけが溢れているので、その人にとって大切なものはそれぞれ違うのに、それが何なのか見えにくい。
そんな中で、人からどう思われるかを気にして、気に入られたいための行動をし続けると、永遠に答えは見つからない。
我がまま は、本当は あるがまま。
我がままはエゴイスティックで、日本ではとかく悪いことと思われがちですが、本当に自分の思いや願いを貫く、という意味でのわがままは、
最終的に絶対に人のためになれる。
好き、興味がある、やってみたい、やってみたら、もっとこうしたい、もっと知りたい、もっと幸せになりたい、と言って追求しているうちに、その幸せ感は絶対に自分だけの幸せではなく、人のためになっちゃうように人間て出来ている。
そういう答えを誰もが内側にもっているから、人間て素晴らしいな~、と思います。だから諦めちゃもったいないな。
そんな大人が増えたなら、それだけで子供たちへの素晴らしい教育になる。
私はこう感じるし、こう思う、こうしたい、という事が他人から好ましくない反応を得たとしても、それは大きな視点からみれば、自分の中にある「何か」を反映しているだけ。
他の人というのは、そういう意味では自分の一部でもあり、果てしなくありがたい存在。
時にはそれを感じとるために、「何もしない」という時間も魂には必要かもしれません。
どんなパワーのある、尊敬できる、あるいは癒してくれる、素晴らしい人に出会ったとしても、その人を素晴らしいと感じることが出来るということは、自分の中にもそのような要素があるから。
自分の中心軸を、他の人に移してしまうと、おかしなことになります。
自分を愛する
ということは、自分の純粋な、子供らしい、好きとか、トキメクとか、何の得にもならないけど興味があるとか、そんな素直な感覚を
大切にしてあげることからだと思います。
自分にとって、今 がどんな時なのか理解できると
焦ることもなくなるし
ただそれをして、納得感があるので
心には平安が訪れます。