ある冬の終わりのポピー

ある冬の終わりのポピー

3・11を2日後に控え、「死」というものを意識している人も多いように感じます。「死」は誰にもおとずれることとして受け入れて、今の自分の「生」に転換できた場合、大きな力に変わっていきます。

問題は、その「死」が今だかつてない程身近に感じられる今の時期、それを前向きな「生」に転換できないほどに、生命力を落としている、或は奪われてしまった人たちがあまりにも多い事なのでは、と思います。そういう意味では、東京とて、充分に「被災地」だと思います。

その自分たちも「被災地」の住民である全日本人が、もっと過酷な「被災地」を見てさらに萎縮するのではなく、少しでも人間としての健やかな体と心とスピリットを取り戻すべく、日々働いていこうと思う日々です。

さらに一番言いたいことは、限界まできた時、人間としての「頑張り」は非常にかけがえのないものだけれど、それだけでは絶対に無理で、大いなる力 SOMETHING GREAT に繋がるという、本来人間がもつ本能に、改めて立ち返る必要があるという点です。

多分・・
人類は、自分たち自身も、地球も、実はもう、とても深く傷ついてしまったのだということを認めるしかないのだと思う。
そして、花や鳥や風や月が、それを癒してくれることを。
その後で、自分たちが、本当のパワーを取り戻せるのだということを。

 

 

アメブロも日々更新中!

 

 

3・11を2日後に控え、「死」というものを意識している人も多いように感じます。「死」は誰にもおとずれることとして受け入れて、今の自分の「生」に転換できた場合、大きな力に変わっていきます。

問題は、その「死」が今だかつてない程身近に感じられる今の時期、それを前向きな「生」に転換できないほどに、生命力を落としている、或は奪われてしまった人たちがあまりにも多い事なのでは、と思います。そういう意味では、東京とて、充分に「被災地」だと思います。

その自分たちも「被災地」の住民である全日本人が、もっと過酷な「被災地」を見てさらに萎縮するのではなく、少しでも人間としての健やかな体と心とスピリットを取り戻すべく、日々働いていこうと思う日々です。

さらに一番言いたいことは、限界まできた時、人間としての「頑張り」は非常にかけがえのないものだけれど、それだけでは絶対に無理で、大いなる力 SOMETHING GREAT に繋がるという、本来人間がもつ本能に、改めて立ち返る必要があるという点です。

多分・・
人類は、自分たち自身も、地球も、実はもう、とても深く傷ついてしまったのだということを認めるしかないのだと思う。
そして、花や鳥や風や月が、それを癒してくれることを。
その後で、自分たちが、本当のパワーを取り戻せるのだということを。

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