先日、用事があって武蔵境にある赤十字病院に行く機会がありました。
この病院は大半が近代的な建物ですが、一部に、建てられた当時のレンガ造りの洋館のような部分が残っていて、そこにはアールデコ調の照明がついていたりして、レトロ好きな私はいたく気に入って思わず辺りを見学してしまいました。
用事が済み、一階のタリーズに隣接されている吹き抜けのようなガラス張りの美しい休憩スペースがあまりに気持ち良さそうだったので、タリーズのカフェオレを買って、そこでしばし外の緑が風に揺れるのを眺めながら休憩しました。
天井が高~く、ゆったりとしたスペースがとても気持ちよかったので、思わずそこで本まで読み始めてしまいました。
しばらくの間ここち良く読書をしていると、読んでいた本の波動との共鳴もあったのでしょう、何ともいえない愛の波動に包まれました。
不思議な気持ちになった私は、思わず心の中でつぶやきました。
「なんでここはこんなに気持ちがいいのかしら?
まるで高原のリゾートホテルのテラスにでもいるかのよう。いえ、それ以上に気持ちがいい。
ちょっと待って?ここは病院だったわよね?」
といった感じ。
およそ病院というところは、訪れて気持ちよかったりワクワクしたりはしないと思うのですが(まぁ、私はあまり病院には詳しくないので知りませんが)、本当にそこに座っていて大変気持ちよい波動に包まれたのです。
そして、これから先の人生を、どのような気持ちで、またどのような方向性で生きていけばいいのか、それを波動で伝えられたように感じました。
折しも偶然バッグの中に入っていて、そこで読んでいた本は、知人に勧められた
ジェラルド・G・ジャンポルスキーの
《ゆるすということ》
という本でした。
病院にきて、こんなに気持ちよい波動を感じたのって初めてだわ、、と思いながら外に出るとき、そこにはそのスペースの名前を記したプレートが掲げられていました。
そこは
《神崎アトリウム》
というスペースで、「愛の病院」づくりを目指した初代院長の神崎氏への敬意を表してつくられた場所だということが書いてありました。
なるほど。。
私が感じた快感は、単なる吹き抜けの光と緑に恵まれたくつろぎのスペースだから、、だけではなかったのでした。
神崎初代院長、という方のことは、一度も聞いたこともなければ、それ以上に知るよしもありませんが、その意思とスピリットは、今もこの病院内で大切にされていることを実感し、今でもこの方の波動は、単なる故人としてでなく、グレイトスピリットとして、この病院を訪れる人、そこで働く人たち、そして今を生きる人々を応援しているのだと分かりました。
私はその場所と彼のスピリットからの応援に感謝を捧げました。
愛とはゆるし
ゆるせない、という感情は体の中で毒にかわる。
その日読んでいた「ゆるすということ」
という本には、
ゆるすということは、どういう事なのか
奇跡をもたらすゆるしに関して
許せない誰かへの思いを癒すことの他にも
さまざまなゆるし
宗教による傷を癒す
亡くなった人たちをゆるす
職場でのゆるし
どうにもならない災害をゆるす
国の犯罪をゆるす
組織をゆるす
自分をゆるす
など等、、、
今の私たちに必要な要素に関しても書かれています。
ゆるす、、
ということは、泣き寝入りして、犠牲者になる、ということではないですね。
むしろその逆です。
「愛の病院」を目指した神崎初代院長は、この「ゆるし」を知っていた方だったのでしょうね。
ただ偶然そこを訪れた人間に、深い感銘を気づきを与えることのできるスピリット、それを感じ、まさに魂とは永遠であることを実感したひとときでした。
そして、私たち一人一人が全員彼のような偉業はできない。
でも、それでもいいのだと、このような一見迷いやすく、希望を見いだしにくい時代に生きる私たちに、でも一人一人に生きる道があって、そこを歩けばそれが素晴らしいことであるのだ、とそのように伝えてくれているのを感じました。
その受け入れ方と度量が、私に勇気を与えてくれました。
思いがけず素敵な体験でした。。
今の日本の現状や、地球全体のことを思うにつけても、あまりにも問題が大きすぎて、時々やるせない思いになることもあります。しかし、それでも淡々と今を、自分を、魂の自然体を生きることの意義を、今一度教えていただいたひとときでした。
2011年の、原爆の日に・・・。
先日、用事があって武蔵境にある赤十字病院に行く機会がありました。
この病院は大半が近代的な建物ですが、一部に、建てられた当時のレンガ造りの洋館のような部分が残っていて、そこにはアールデコ調の照明がついていたりして、レトロ好きな私はいたく気に入って思わず辺りを見学してしまいました。
用事が済み、一階のタリーズに隣接されている吹き抜けのようなガラス張りの美しい休憩スペースがあまりに気持ち良さそうだったので、タリーズのカフェオレを買って、そこでしばし外の緑が風に揺れるのを眺めながら休憩しました。
天井が高~く、ゆったりとしたスペースがとても気持ちよかったので、思わずそこで本まで読み始めてしまいました。
しばらくの間ここち良く読書をしていると、読んでいた本の波動との共鳴もあったのでしょう、何ともいえない愛の波動に包まれました。
不思議な気持ちになった私は、思わず心の中でつぶやきました。
「なんでここはこんなに気持ちがいいのかしら?
まるで高原のリゾートホテルのテラスにでもいるかのよう。いえ、それ以上に気持ちがいい。
ちょっと待って?ここは病院だったわよね?」
といった感じ。
およそ病院というところは、訪れて気持ちよかったりワクワクしたりはしないと思うのですが(まぁ、私はあまり病院には詳しくないので知りませんが)、本当にそこに座っていて大変気持ちよい波動に包まれたのです。
そして、これから先の人生を、どのような気持ちで、またどのような方向性で生きていけばいいのか、それを波動で伝えられたように感じました。
折しも偶然バッグの中に入っていて、そこで読んでいた本は、知人に勧められた
ジェラルド・G・ジャンポルスキーの
《ゆるすということ》
という本でした。
病院にきて、こんなに気持ちよい波動を感じたのって初めてだわ、、と思いながら外に出るとき、そこにはそのスペースの名前を記したプレートが掲げられていました。
そこは
《神崎アトリウム》
というスペースで、「愛の病院」づくりを目指した初代院長の神崎氏への敬意を表してつくられた場所だということが書いてありました。
なるほど。。
私が感じた快感は、単なる吹き抜けの光と緑に恵まれたくつろぎのスペースだから、、だけではなかったのでした。
神崎初代院長、という方のことは、一度も聞いたこともなければ、それ以上に知るよしもありませんが、その意思とスピリットは、今もこの病院内で大切にされていることを実感し、今でもこの方の波動は、単なる故人としてでなく、グレイトスピリットとして、この病院を訪れる人、そこで働く人たち、そして今を生きる人々を応援しているのだと分かりました。
私はその場所と彼のスピリットからの応援に感謝を捧げました。
愛とはゆるし
ゆるせない、という感情は体の中で毒にかわる。
その日読んでいた「ゆるすということ」
という本には、
ゆるすということは、どういう事なのか
奇跡をもたらすゆるしに関して
許せない誰かへの思いを癒すことの他にも
さまざまなゆるし
宗教による傷を癒す
亡くなった人たちをゆるす
職場でのゆるし
どうにもならない災害をゆるす
国の犯罪をゆるす
組織をゆるす
自分をゆるす
など等、、、
今の私たちに必要な要素に関しても書かれています。
ゆるす、、
ということは、泣き寝入りして、犠牲者になる、ということではないですね。
むしろその逆です。
「愛の病院」を目指した神崎初代院長は、この「ゆるし」を知っていた方だったのでしょうね。
ただ偶然そこを訪れた人間に、深い感銘を気づきを与えることのできるスピリット、それを感じ、まさに魂とは永遠であることを実感したひとときでした。
そして、私たち一人一人が全員彼のような偉業はできない。
でも、それでもいいのだと、このような一見迷いやすく、希望を見いだしにくい時代に生きる私たちに、でも一人一人に生きる道があって、そこを歩けばそれが素晴らしいことであるのだ、とそのように伝えてくれているのを感じました。
その受け入れ方と度量が、私に勇気を与えてくれました。
思いがけず素敵な体験でした。。
今の日本の現状や、地球全体のことを思うにつけても、あまりにも問題が大きすぎて、時々やるせない思いになることもあります。しかし、それでも淡々と今を、自分を、魂の自然体を生きることの意義を、今一度教えていただいたひとときでした。
2011年の、原爆の日に・・・。