よく見るととても可愛いオリーブの花

よく見るととても可愛いオリーブの花

今日から6月ですが、今年の関東、5月のうちに梅雨入りしちゃうなんて・・。
いつもなら、まだもう少し乾いたこの時期の空気を味わえる頃なのですが、自然界も何もかもが変容を急いでいるかのようです。

去年はベランダのオリーブが、暑さのあまり実をつけなかったのです。

今年は小さな花を沢山咲かせているので、きっと実が沢山なりますように~と、可愛いらしいお花にLOVEを送っておきました♡

先日、うちの父が80歳のお誕生日を迎えました。
ママ母様が気を遣って、縁者に傘寿のお祝いのお菓子を贈ってくれました。

そのお菓子を
「お父さんもよく頑張ってるよね~」
なんて言いながら、甘いものが大好きだった亡き母の写真をのところにあげてみたら、母もとても嬉しそうに笑っていました。^^

実の母は私が20代のときに亡くなっているので、何はともあれ父が元気でいてくれていることは、有り難いことだと思っています。

若い頃は父の性格や、母の生き方、両親の関係性などがあまり受け入れられず批判的だったのですが、その後いろいろな事があったので(と、一言で省略・笑)、今ではそんな事もあんな事もあったけれど、命の営みの尊さにありがとう・・みたいな心境なのです。

最近は花や緑が心に沁みるとか、すべての命の営みが尊くありがたいとか言っていて、似たような心境の友人と
「あたし達最近《仏の心》じゃない?」
とか言って笑ってますけど、いや、マジです。

家族などの「血の繋がり」というものは、肉体レベルで遺伝子を分けていますので、大変濃いものではありますが、私のように日々魂レベルで人を見ることをしていると、その「血の繋がり」というものも、この地上という舞台の一つのキャスティングに過ぎなくて、どのような関係もすべて
「役割ご苦労さまでございます」
と、感じるのです。

父は現役時代はいわゆる「モーレツサラリーマン」タイプでしたが、実はとても繊細な神経を持っていることを、私は最近まであまり見ようとしてきませんでした。

そのようなデリケートさは、これまで人生の節目にもらった何通かの手紙や、ふとした折のメールの文章などに表れます。

この度もお祝いのメールの返事に、自分が80年も生きたなどという気がしない、ということと、自分の青春時代は戦争で勉強する環境もままならず、勤労奉仕をする中、どのみちお国のために死ぬんだと覚悟していた、と書かれてありました。

そしてそんな中、学生時代に出会った私の母は、文字通りその後の人生において父の「太陽」であったと書いてありました。

母にとって、父との関係性が「幸せ」と呼べるものだったかどうかは母本人にしか分かりません。
それでも、一人の男性にとって、太陽であり続けた母の生命に対して「よかったね、素晴らしいことだったね」
と、祝福したい心で一杯になりました。

そしてまた、父はその後の人生で今のパートナーである、一回り若いママ母君と出会い、再婚しました。彼女は明るく聡明で父にも私にもよくしてくれるだけでなく、居間に飾ってある母の写真も「仏さまだから」と気にしないそうで、父にかわって母のお仏壇のお世話も心を込めてしてくれています。

今まであまり特別なこととも思わなかったけれど、こういう事というのは、心が成熟していないと出来ないことでもあり、改めて感謝と、ご縁の不思議さのようなものを感じます。

日本では、血の繋がりや家、土地への思いというのがことのほか強い国だと思います。古い価値観もそうでしょう。田舎へ行けばいくほど、その古い体質を抜け出すこと、新しい考えに意識を切り替えていくことは難しいと思います。

けれども、今回の地震を通して、日本人は自らに新しい変革を課していることを実感します。
本当に自分にとって、家族にとって、そして自分の関わる縁ある人々にとって一番よいことは何だろうかと思う気持ち。

それは、自己犠牲や単なる思いやりということではなく、自分自身が責任をもって魂の望みを生きること、そのための学びを精一杯生きることだろうと思います。

子供たちにとって、命の安全や衣食住など必要なものを確保してあげることは親の責任ですが、その上で親が(たとえ離婚などのプロセスを通ったとしても)精一杯その学びを生きることが、何よりも子供達に対する親、そして大人が出来る事なのではないでしょうか。

これからの時代は、地球ももうちょっと「宇宙的」になっていくだろうと思います。それは血の繋がりというものが、大切な繋がりでありながらも絶対的な意味合いを持たず、魂の繋がりに従って新しい形の信頼関係を多く生み出していく、そんなチャレンジをしていくのだろうと思っています。

そのような「ご縁の円」による絆を、私自身も気持ちよく育んでいきたいと思うのです

 

 

アメブロも日々更新中!

 

今日から6月ですが、今年の関東、5月のうちに梅雨入りしちゃうなんて・・。
いつもなら、まだもう少し乾いたこの時期の空気を味わえる頃なのですが、自然界も何もかもが変容を急いでいるかのようです。

去年はベランダのオリーブが、暑さのあまり実をつけなかったのです。

今年は小さな花を沢山咲かせているので、きっと実が沢山なりますように~と、可愛いらしいお花にLOVEを送っておきました♡

先日、うちの父が80歳のお誕生日を迎えました。
ママ母様が気を遣って、縁者に傘寿のお祝いのお菓子を贈ってくれました。

そのお菓子を
「お父さんもよく頑張ってるよね~」
なんて言いながら、甘いものが大好きだった亡き母の写真をのところにあげてみたら、母もとても嬉しそうに笑っていました。^^

実の母は私が20代のときに亡くなっているので、何はともあれ父が元気でいてくれていることは、有り難いことだと思っています。

若い頃は父の性格や、母の生き方、両親の関係性などがあまり受け入れられず批判的だったのですが、その後いろいろな事があったので(と、一言で省略・笑)、今ではそんな事もあんな事もあったけれど、命の営みの尊さにありがとう・・みたいな心境なのです。

最近は花や緑が心に沁みるとか、すべての命の営みが尊くありがたいとか言っていて、似たような心境の友人と
「あたし達最近《仏の心》じゃない?」
とか言って笑ってますけど、いや、マジです。

家族などの「血の繋がり」というものは、肉体レベルで遺伝子を分けていますので、大変濃いものではありますが、私のように日々魂レベルで人を見ることをしていると、その「血の繋がり」というものも、この地上という舞台の一つのキャスティングに過ぎなくて、どのような関係もすべて
「役割ご苦労さまでございます」
と、感じるのです。

父は現役時代はいわゆる「モーレツサラリーマン」タイプでしたが、実はとても繊細な神経を持っていることを、私は最近まであまり見ようとしてきませんでした。

そのようなデリケートさは、これまで人生の節目にもらった何通かの手紙や、ふとした折のメールの文章などに表れます。

この度もお祝いのメールの返事に、自分が80年も生きたなどという気がしない、ということと、自分の青春時代は戦争で勉強する環境もままならず、勤労奉仕をする中、どのみちお国のために死ぬんだと覚悟していた、と書かれてありました。

そしてそんな中、学生時代に出会った私の母は、文字通りその後の人生において父の「太陽」であったと書いてありました。

母にとって、父との関係性が「幸せ」と呼べるものだったかどうかは母本人にしか分かりません。
それでも、一人の男性にとって、太陽であり続けた母の生命に対して「よかったね、素晴らしいことだったね」
と、祝福したい心で一杯になりました。

そしてまた、父はその後の人生で今のパートナーである、一回り若いママ母君と出会い、再婚しました。彼女は明るく聡明で父にも私にもよくしてくれるだけでなく、居間に飾ってある母の写真も「仏さまだから」と気にしないそうで、父にかわって母のお仏壇のお世話も心を込めてしてくれています。

今まであまり特別なこととも思わなかったけれど、こういう事というのは、心が成熟していないと出来ないことでもあり、改めて感謝と、ご縁の不思議さのようなものを感じます。

日本では、血の繋がりや家、土地への思いというのがことのほか強い国だと思います。古い価値観もそうでしょう。田舎へ行けばいくほど、その古い体質を抜け出すこと、新しい考えに意識を切り替えていくことは難しいと思います。

けれども、今回の地震を通して、日本人は自らに新しい変革を課していることを実感します。
本当に自分にとって、家族にとって、そして自分の関わる縁ある人々にとって一番よいことは何だろうかと思う気持ち。

それは、自己犠牲や単なる思いやりということではなく、自分自身が責任をもって魂の望みを生きること、そのための学びを精一杯生きることだろうと思います。

子供たちにとって、命の安全や衣食住など必要なものを確保してあげることは親の責任ですが、その上で親が(たとえ離婚などのプロセスを通ったとしても)精一杯その学びを生きることが、何よりも子供達に対する親、そして大人が出来る事なのではないでしょうか。

これからの時代は、地球ももうちょっと「宇宙的」になっていくだろうと思います。それは血の繋がりというものが、大切な繋がりでありながらも絶対的な意味合いを持たず、魂の繋がりに従って新しい形の信頼関係を多く生み出していく、そんなチャレンジをしていくのだろうと思っています。

そのような「ご縁の円」による絆を、私自身も気持ちよく育んでいきたいと思うのです

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