ブログって不思議ですよね。
HPのアクセスってそんなに爆発的に増えることもないのでしょうけど、ブログって気づかないうちにどんどんアクセスが増えていくので、不思議です。
今はアメブロも書いていて、そちらの方はどちらかというとお仕事系記事が多いのですけど、このブログは2年前に始めた当初から、割と好きなことを思いつくままに綴っています。
たまにしか更新しないんですが、それでも続けているからか、現在のところではアメブロの5倍から10倍程度アクセスがあります。
ここへ書く時は、何か自分のお部屋へ帰ってきたというか、素顔の私に近いような感じもしています。
そんな私の気持ちが、今日ヒットした曲は、痛いほど赤裸々な男子の恋心を歌ったうたです。
タイトルも《痛いよ》ってそのまんまです。
歌っている人は《清 竜人》という人で、パッと見、「え?このコ、ちょっと大丈夫かしら?」と一瞬思うナヨっと感なのですが、だからこその凄さなのかもしれません。
こんな歌詞を世の中に出す男子がいる事が、私にとってはブラボー!です。
そしてとてもヒットしている、共感している人が沢山いるということがまたブラボー!であり、YouTubeの書き込みに、否定的な事を書く人がいると、それに対して
「これが女々しいとか言ってるヤツ、ここに歌われている感情になるくらい、ヒトを好きになったことあるのかよ!」
と言い返している男子がいて、そういうのを見るにつけても、
「うんうん、ほんとだね、あたいも分かるよ、その気持ち」
な~んて思ったりして、いちいちブラボーなのです^^
私には、16歳の頃からとても仲良く遊んでいた数人の男友達がいて、その中の一人のH君のことは、当時の感覚でも「同じ卵から生まれてきた」ように感じていました。そんなH君の青春の苦悩やジレンマを身近で見ていて、彼らの中にある女々しさに不思議な共感を覚え、それ以来、男性という生き物は私の中で本当の意味の「仲間」になりました。
H君とはつき合うことはなかったけれど、でもだからこそというか、そのおかげでというか、今でも私のとても大切な心の友です。
そんなH君の20代の頃の切なくも苦しいラブを、この歌をきいていて思い出しました。本人はもう忘れているかも知れないけどね・・。(あ、いやそれはないな。笑)
「やさしい嘘をついてまで 喜ばせるよりも
本当のことを言ってくれよ
そしてぼくを悲しませて」
とか
「ぼくが抱く この思いは きみにとって 愛と言えるの?
教えてくれよ 教えてくれよ 胸が痛いよ」
とかいうフレーズに、もう本当にギリギリ感がそこまできていて
切ないじゃありませんか。
私がこれまでに接してきた、そんな恋心の男子の顔が他にも、
友達だったり、知人だったり、クライアントさんだったり
ああ、あの頃のあいつ、あの時のあの人
あんな事を言っていたしていたあの人、この人・・・
次々に浮かんできて、その一途な心情を貴重な美しさとして想いだすのです。
「ぼくが抱く この思いは きみにとって 愛と言えるの?」
というこの歌詞に歌われているように
そう、そんな気持ちは永遠じゃない、
いつかは壊れて、そして過ぎ去っていくもの
でも、それでも、その時の真実であって、それ以外になりようがない
ありのままの本当の気持ち・・・。
そういう、世の中の本当の事を、私は心から美しいと思うのです。
たとえ苦しくても
いえ、苦しいからこそ、それはどうしてなの?と、
突き抜けて、何かを見いだして、掴んで、手に入れたいと願う
人間の本能の真実の愛の姿を、体ごと表わしたいという願いを
奥底に感じるからなのです。
人を愛せるということは、熱い熱い、生命力なのですから。
エゴイズムの執着の固まりとなって、そして、いつかは、そこを突き抜けていくのですから。
ねぇ きみが思っている程 ぼくは馬鹿じゃないよ
鈍感なフリするのも 堪えられなくなってきたんだ
ぼくのために さりげなく隠している過去も
たまにつくやさしい嘘も 気づいているんだよ
きみが使う ことばひとつで
ぼくはいつも 胸が痛いよ
平然と振る舞うぼくも 内心は穏やかじゃないよ
全神経を尖らせて 君を探ってるの
乱れる呼吸 泳いでる目 はぐらかす表情
一挙手一投足が 恐くて仕方ないんだよ
きみが作る しぐさひとつで
ぼくはいつも 胸が痛いよ
気に入ってるその洋服も ヘアースタイルや厚化粧も
思い出話も 価値観も 喜怒哀楽も
変な癖のあるキスも ベッドで喘ぐ声も
ぼく以外の誰かにも 見せていたんでしょう
きみが使う ことばひとつで
ぼくはいつも 胸が痛いよ
きみが作る しぐさひとつで
ぼくはいつも 胸が痛いよ
やさしい嘘をついてまで 喜ばせるよりも
本当のことを言ってくれよ
そしてぼくを悲しませて
気づいたらぼくはもう 独占欲に溺れていて
エゴイズムを振り翳して くだらない愛を語っていたよ
でもぼくはきみが好きで どうしようもない程に好きなのさ
これだけは 信じて欲しいんだよ
きみが生きる ひとつひとつが ぼくにとって 喜びなんだ
きみが生きる ひとつひとつが ぼくにとって 悲しみなんだ
胸が痛いよ 胸が痛いよ 胸が痛いよ
ぼくが抱く この思いは きみにとって 愛と言えるの?
教えてくれよ 教えてくれよ 胸が痛いよ
ブログって不思議ですよね。
HPのアクセスってそんなに爆発的に増えることもないのでしょうけど、ブログって気づかないうちにどんどんアクセスが増えていくので、不思議です。
今はアメブロも書いていて、そちらの方はどちらかというとお仕事系記事が多いのですけど、このブログは2年前に始めた当初から、割と好きなことを思いつくままに綴っています。
たまにしか更新しないんですが、それでも続けているからか、現在のところではアメブロの5倍から10倍程度アクセスがあります。
ここへ書く時は、何か自分のお部屋へ帰ってきたというか、素顔の私に近いような感じもしています。
そんな私の気持ちが、今日ヒットした曲は、痛いほど赤裸々な男子の恋心を歌ったうたです。
タイトルも《痛いよ》ってそのまんまです。
歌っている人は《清 竜人》という人で、パッと見、「え?このコ、ちょっと大丈夫かしら?」と一瞬思うナヨっと感なのですが、だからこその凄さなのかもしれません。
こんな歌詞を世の中に出す男子がいる事が、私にとってはブラボー!です。
そしてとてもヒットしている、共感している人が沢山いるということがまたブラボー!であり、YouTubeの書き込みに、否定的な事を書く人がいると、それに対して
「これが女々しいとか言ってるヤツ、ここに歌われている感情になるくらい、ヒトを好きになったことあるのかよ!」
と言い返している男子がいて、そういうのを見るにつけても、
「うんうん、ほんとだね、あたいも分かるよ、その気持ち」
な~んて思ったりして、いちいちブラボーなのです^^
私には、16歳の頃からとても仲良く遊んでいた数人の男友達がいて、その中の一人のH君のことは、当時の感覚でも「同じ卵から生まれてきた」ように感じていました。そんなH君の青春の苦悩やジレンマを身近で見ていて、彼らの中にある女々しさに不思議な共感を覚え、それ以来、男性という生き物は私の中で本当の意味の「仲間」になりました。
H君とはつき合うことはなかったけれど、でもだからこそというか、そのおかげでというか、今でも私のとても大切な心の友です。
そんなH君の20代の頃の切なくも苦しいラブを、この歌をきいていて思い出しました。本人はもう忘れているかも知れないけどね・・。(あ、いやそれはないな。笑)
「やさしい嘘をついてまで 喜ばせるよりも
本当のことを言ってくれよ
そしてぼくを悲しませて」
とか
「ぼくが抱く この思いは きみにとって 愛と言えるの?
教えてくれよ 教えてくれよ 胸が痛いよ」
とかいうフレーズに、もう本当にギリギリ感がそこまできていて
切ないじゃありませんか。
私がこれまでに接してきた、そんな恋心の男子の顔が他にも、
友達だったり、知人だったり、クライアントさんだったり
ああ、あの頃のあいつ、あの時のあの人
あんな事を言っていたしていたあの人、この人・・・
次々に浮かんできて、その一途な心情を貴重な美しさとして想いだすのです。
「ぼくが抱く この思いは きみにとって 愛と言えるの?」
というこの歌詞に歌われているように
そう、そんな気持ちは永遠じゃない、
いつかは壊れて、そして過ぎ去っていくもの
でも、それでも、その時の真実であって、それ以外になりようがない
ありのままの本当の気持ち・・・。
そういう、世の中の本当の事を、私は心から美しいと思うのです。
たとえ苦しくても
いえ、苦しいからこそ、それはどうしてなの?と、
突き抜けて、何かを見いだして、掴んで、手に入れたいと願う
人間の本能の真実の愛の姿を、体ごと表わしたいという願いを
奥底に感じるからなのです。
人を愛せるということは、熱い熱い、生命力なのですから。
エゴイズムの執着の固まりとなって、そして、いつかは、そこを突き抜けていくのですから。
ねぇ きみが思っている程 ぼくは馬鹿じゃないよ
鈍感なフリするのも 堪えられなくなってきたんだ
ぼくのために さりげなく隠している過去も
たまにつくやさしい嘘も 気づいているんだよ
きみが使う ことばひとつで
ぼくはいつも 胸が痛いよ
平然と振る舞うぼくも 内心は穏やかじゃないよ
全神経を尖らせて 君を探ってるの
乱れる呼吸 泳いでる目 はぐらかす表情
一挙手一投足が 恐くて仕方ないんだよ
きみが作る しぐさひとつで
ぼくはいつも 胸が痛いよ
気に入ってるその洋服も ヘアースタイルや厚化粧も
思い出話も 価値観も 喜怒哀楽も
変な癖のあるキスも ベッドで喘ぐ声も
ぼく以外の誰かにも 見せていたんでしょう
きみが使う ことばひとつで
ぼくはいつも 胸が痛いよ
きみが作る しぐさひとつで
ぼくはいつも 胸が痛いよ
やさしい嘘をついてまで 喜ばせるよりも
本当のことを言ってくれよ
そしてぼくを悲しませて
気づいたらぼくはもう 独占欲に溺れていて
エゴイズムを振り翳して くだらない愛を語っていたよ
でもぼくはきみが好きで どうしようもない程に好きなのさ
これだけは 信じて欲しいんだよ
きみが生きる ひとつひとつが ぼくにとって 喜びなんだ
きみが生きる ひとつひとつが ぼくにとって 悲しみなんだ
胸が痛いよ 胸が痛いよ 胸が痛いよ
ぼくが抱く この思いは きみにとって 愛と言えるの?
教えてくれよ 教えてくれよ 胸が痛いよ