先日TVで「ラストサムライ」をやっていて偶然見ました。
明治維新直後の、前時代的な「さむらい達」を根絶しようとする動きの中で、美しくかつ尊敬をもって描き出される「サムライ魂」。
これまでの映画の中で、外国の人がフツーに目に触れる映画としては、黒沢映画を除いてはどうしても勘違いオサムライや、外国人が勝手に思い描いている日本魂、のようなものが多かっただけに、昨今のこうした映画の貢献は大きいように感じます。
ハリウッドの中でも、欧米の俳優さん達と対等に扱われはじめた日本人俳優たちの活躍も誇りを感じたりします。
ま、サムライスピリットを理解していくにつれ、その中に自らの尊厳を取り戻し、日本の武士の鎧をつけて刀を振り上げながら,馬で突撃するトム・クルーズ、ってやっぱり格好良すぎでしたけどね(^^;
聞いたところによると、素顔のトム・クルーズもかなり精神性を追求するタイプで、自分に厳しく、バスルームの鏡に
「Take it easy, Tom!」
と書いて貼っているという話を聞いたことあります(笑)
真実か否かは知りませんが・・。
いずれにしても、以前はサムライ映画などには一切興味はなかったのですが、やはり日本が世界に誇れる強さというのは、基本的にその根底にある精神性ではないかと思うのですが。
現代の日本で、その強い精神性を言っても、少しもピンとこないところはありますが(また、その文化ゆえに今みんなウツになっている、という部分もあると思いますし)、それでも、がしかし、その中でこそ「己の魂のルーツを知るべし!」というところでしょうか。。
ちなみに、司馬遼太郎原作のNHKドラマ、「坂の上の雲」を見ていましたか?モッくんは最近本当にいい役どころにも恵まれ、いい役者さんになりましたよね。
日清、日露戦争頃の日本を舞台に描かれた司馬遼太郎の小説を、NHKが今年と来年の大河ドラマの切り替わりの時期に、3年構成で放映するドラマです。
武田信玄の「風林火山」(私の地元なので)以来、生まれてはじめて大河ドラマファンになった私は、その次の「篤姫」も妻夫木くんの「天地人」も毎週見ては涙していましたが(笑)、この「坂の上の雲」も全回お約束で見ていました^^
昨今はやりの「歴女」(れきじょ=歴史好きの女子)というわけではないのですが、そうと言いながらも時代の波を受けているのかもしれません(笑)
そして、、やはり改めて思うことには
人類の歴史、これ戦いの歴史なり、、。
ということです。
「天地人」の上杉謙信は戦いの神、毘沙門天に一生を捧げ「義」の一事のために戦い、そしてその家臣の直江兼継は「愛」の字を兜に掲げ闘いました。
みんなみんな、愛する者のために、自分の信じている義のために、そして常に「自由のために」闘ってきました。
少し前のニューエイジブームの時には、「戦いの歴史はもう終わり。これからは皆でLOVE & PEACE」なのだと言っていました。
そんなブーム元のアメリカでは、今現在でも戦争を行なっています。
この事は今に生きる私たちに、どんなメッセージを伝えているのでしょうか?
先日友人が当てた試写会で、「フォースカインド」というドキュメンタリー映画を見ました。
10年ほど前のアラスカでの実際の出来事と記録をもとに映画化された映像です。
その出来事とは、そのアラスカの街のかなりの人数の人が、不眠症に犯され、恐ろしい体験をしていく。原因を探っていた心理士の女性が、自らもその恐怖の体験に遭遇し、精神も家族もすべてを壊されていく。その一番の恐怖どころは、宇宙人による拉致と誘拐、という世にも恐ろしい内容なのです。
たまたま当たったので一緒に行った友人2人には、興味のないテーマだったらしく、「ま、いくらでもそんな映像は作れるからね~」などと言ってあくびをしておりましたが(笑)
私は「そうやって、宇宙人はみんな世にも恐ろしい存在だと思わせることに、何の意味があるわけ~?」
と思ってしまいました。
そうしたら、友人の一人が
「だけど、今の地球が一つにまとまるには、外的な宇宙人とかの攻撃によって団結するしかない、っていう説に私は賛成だ」
なんてのたまわっておりました(^^;
何てことでしょね。
宇宙規模で戦いを広げていくことでしか、平和になれないって、全然平和の意味な~いじゃ~ん(笑)
という話もありながら、、。
かなり話が脇道にそれました。
私が今日言いたかったことは
純粋なサムライスピリットをもった人達にしろ、坂の上の雲に描かれている歴史上の人物たちにしろ、激動の時代を「闘っていた」しかも、孤高の志をもってそれを生きていた人達への、敬意です。
以前は、どんな志にせよ、「戦い」は意味がないと。
愚かなのだと。
決めつけていたように思います。
それは、私が女だからかもしれません。
でも、あの司馬遼太郎の 「まことに小さな国が、開花期を迎えようとしていた」と表現したそんな時代に生きてくれたスピリットたちの、そのすがすがしさは、今の私には、心から
ありがとうございました
以外の何ものでもないのでございます。
久しぶりに、そんな良いものを見せていただきました。
そして、今流行の歴女たちは、どこかでそんな戦をし続けてきた、自らの同胞たる男性たち、男性性を赦し、理解し始めているのではないか、と思えてもくるのでございます。
まるでインナーチャイルドの癒しが進んだ人が、親も親であの時は精一杯だったと理解するように、そして自らを癒し、他を赦し、受け入れはじめるように、、。
それは、もしかしたら、女性がこの数十年の間、社会という外の世界でも戦ってきたからかもしれません。
「”ボディコン”の洋服は、戦う女性の戦闘服だ」
と言った人がいました。
アナタも着ていましたか?あのデカイ肩パッド入りの服?(笑)
それと、草食気味になっている今の男性達を眺めながら、心の中ではそうした歴史上の男らしい男達に何かを求めているのかもしれないですね、歴女。
もちろん、私は戦いや、戦争というものを肯定しているわけではありません。でも、きっとあの時のあの人達、あの時の私たちには、それが一生懸命自分を生きるだったのでしょうし、それを過ちと呼べども、それが悪かったとか、良かったとか、言う事は出来ないのだと思います。
そして、いくら過去に平和な良い時代があったとしても、私たちは、過去に戻ることはできない。
私の感銘を受けた言葉の一つに
「木を植えましょう」
という本を書かれた 正木高志氏の
”高度に発達した文明を救えるのは、高度な精神性をおいて他にない”
という言葉があります。
いくつもの、すがすがしく、ピュアな過去に生きた魂の純粋さと情熱に触れ、改めてこの言葉を思い出したのでした。
何か書き始めたら、すご~く長くなっちゃいました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。m(__)m
先日TVで「ラストサムライ」をやっていて偶然見ました。
明治維新直後の、前時代的な「さむらい達」を根絶しようとする動きの中で、美しくかつ尊敬をもって描き出される「サムライ魂」。
これまでの映画の中で、外国の人がフツーに目に触れる映画としては、黒沢映画を除いてはどうしても勘違いオサムライや、外国人が勝手に思い描いている日本魂、のようなものが多かっただけに、昨今のこうした映画の貢献は大きいように感じます。
ハリウッドの中でも、欧米の俳優さん達と対等に扱われはじめた日本人俳優たちの活躍も誇りを感じたりします。
ま、サムライスピリットを理解していくにつれ、その中に自らの尊厳を取り戻し、日本の武士の鎧をつけて刀を振り上げながら,馬で突撃するトム・クルーズ、ってやっぱり格好良すぎでしたけどね(^^;
聞いたところによると、素顔のトム・クルーズもかなり精神性を追求するタイプで、自分に厳しく、バスルームの鏡に
「Take it easy, Tom!」
と書いて貼っているという話を聞いたことあります(笑)
真実か否かは知りませんが・・。
いずれにしても、以前はサムライ映画などには一切興味はなかったのですが、やはり日本が世界に誇れる強さというのは、基本的にその根底にある精神性ではないかと思うのですが。
現代の日本で、その強い精神性を言っても、少しもピンとこないところはありますが(また、その文化ゆえに今みんなウツになっている、という部分もあると思いますし)、それでも、がしかし、その中でこそ「己の魂のルーツを知るべし!」というところでしょうか。。
ちなみに、司馬遼太郎原作のNHKドラマ、「坂の上の雲」を見ていましたか?モッくんは最近本当にいい役どころにも恵まれ、いい役者さんになりましたよね。
日清、日露戦争頃の日本を舞台に描かれた司馬遼太郎の小説を、NHKが今年と来年の大河ドラマの切り替わりの時期に、3年構成で放映するドラマです。
武田信玄の「風林火山」(私の地元なので)以来、生まれてはじめて大河ドラマファンになった私は、その次の「篤姫」も妻夫木くんの「天地人」も毎週見ては涙していましたが(笑)、この「坂の上の雲」も全回お約束で見ていました^^
昨今はやりの「歴女」(れきじょ=歴史好きの女子)というわけではないのですが、そうと言いながらも時代の波を受けているのかもしれません(笑)
そして、、やはり改めて思うことには
人類の歴史、これ戦いの歴史なり、、。
ということです。
「天地人」の上杉謙信は戦いの神、毘沙門天に一生を捧げ「義」の一事のために戦い、そしてその家臣の直江兼継は「愛」の字を兜に掲げ闘いました。
みんなみんな、愛する者のために、自分の信じている義のために、そして常に「自由のために」闘ってきました。
少し前のニューエイジブームの時には、「戦いの歴史はもう終わり。これからは皆でLOVE & PEACE」なのだと言っていました。
そんなブーム元のアメリカでは、今現在でも戦争を行なっています。
この事は今に生きる私たちに、どんなメッセージを伝えているのでしょうか?
先日友人が当てた試写会で、「フォースカインド」というドキュメンタリー映画を見ました。
10年ほど前のアラスカでの実際の出来事と記録をもとに映画化された映像です。
その出来事とは、そのアラスカの街のかなりの人数の人が、不眠症に犯され、恐ろしい体験をしていく。原因を探っていた心理士の女性が、自らもその恐怖の体験に遭遇し、精神も家族もすべてを壊されていく。その一番の恐怖どころは、宇宙人による拉致と誘拐、という世にも恐ろしい内容なのです。
たまたま当たったので一緒に行った友人2人には、興味のないテーマだったらしく、「ま、いくらでもそんな映像は作れるからね~」などと言ってあくびをしておりましたが(笑)
私は「そうやって、宇宙人はみんな世にも恐ろしい存在だと思わせることに、何の意味があるわけ~?」
と思ってしまいました。
そうしたら、友人の一人が
「だけど、今の地球が一つにまとまるには、外的な宇宙人とかの攻撃によって団結するしかない、っていう説に私は賛成だ」
なんてのたまわっておりました(^^;
何てことでしょね。
宇宙規模で戦いを広げていくことでしか、平和になれないって、全然平和の意味な~いじゃ~ん(笑)
という話もありながら、、。
かなり話が脇道にそれました。
私が今日言いたかったことは
純粋なサムライスピリットをもった人達にしろ、坂の上の雲に描かれている歴史上の人物たちにしろ、激動の時代を「闘っていた」しかも、孤高の志をもってそれを生きていた人達への、敬意です。
以前は、どんな志にせよ、「戦い」は意味がないと。
愚かなのだと。
決めつけていたように思います。
それは、私が女だからかもしれません。
でも、あの司馬遼太郎の 「まことに小さな国が、開花期を迎えようとしていた」と表現したそんな時代に生きてくれたスピリットたちの、そのすがすがしさは、今の私には、心から
ありがとうございました
以外の何ものでもないのでございます。
久しぶりに、そんな良いものを見せていただきました。
そして、今流行の歴女たちは、どこかでそんな戦をし続けてきた、自らの同胞たる男性たち、男性性を赦し、理解し始めているのではないか、と思えてもくるのでございます。
まるでインナーチャイルドの癒しが進んだ人が、親も親であの時は精一杯だったと理解するように、そして自らを癒し、他を赦し、受け入れはじめるように、、。
それは、もしかしたら、女性がこの数十年の間、社会という外の世界でも戦ってきたからかもしれません。
「”ボディコン”の洋服は、戦う女性の戦闘服だ」
と言った人がいました。
アナタも着ていましたか?あのデカイ肩パッド入りの服?(笑)
それと、草食気味になっている今の男性達を眺めながら、心の中ではそうした歴史上の男らしい男達に何かを求めているのかもしれないですね、歴女。
もちろん、私は戦いや、戦争というものを肯定しているわけではありません。でも、きっとあの時のあの人達、あの時の私たちには、それが一生懸命自分を生きるだったのでしょうし、それを過ちと呼べども、それが悪かったとか、良かったとか、言う事は出来ないのだと思います。
そして、いくら過去に平和な良い時代があったとしても、私たちは、過去に戻ることはできない。
私の感銘を受けた言葉の一つに
「木を植えましょう」
という本を書かれた 正木高志氏の
”高度に発達した文明を救えるのは、高度な精神性をおいて他にない”
という言葉があります。
いくつもの、すがすがしく、ピュアな過去に生きた魂の純粋さと情熱に触れ、改めてこの言葉を思い出したのでした。
何か書き始めたら、すご~く長くなっちゃいました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。m(__)m