ココ・シャネルでフランスついでに、ちょっと思いだし話を最近の友人に語っていたら,自分でも妙にその頃の自分を懐かしく思い出してしまいました。
大学を卒業してからフランスに留学したというと、大体の人は大学は仏文科だったと思うようなのですが、私は大学ではフランス語は第二外国語で選択しただけでした。
ゼミでは言語学を専攻していて、英語でチョムスキーなどを読んでいたことは、ほとんど今では信じられない事実です。前世の記憶かと思うくらい(!?)、細かい内容は何一つ覚えていないので(前世の記憶の方がクリアな事もあったりして^^;)この件に関してはつっこまないで下さい。
何せ入学後の最初の2年間(一般過程)の時は特に、ボーイフレンドと遊びまくっていて、あまり学校に行っていず、第二外国語のフランス語なんて勉強するはずもなく、2年生の終わりに「このままでは単位を落としますよ」という状態に陥り、落ちこぼれた私は補修の授業を受けさせられたわけです。
そ~したらその補修をしてくれたフランス語講師、日本人男性の先生だったのですが、この先生の授業がめちゃめちゃ面白く、それをきっかけにフランス語に目覚めたのでした。
人生って分からないものですよね。
というか、やはり人生、出会いが重要なきっかけをつくってくれるものです。
それ以来フランスに惹かれ、アテネフランセや日仏学院にも通ったりしながら多少の勉強を続け、卒業後渡仏したわけですが、それほど勉強がしたかったわけでもないのです。
ティーンエージャーの頃から、何故か自分は一度は日本を出ないとダメだ、と思っていたので、アメリカに行こうと思っていたのですが、そんな事を機にそれがフランスになってしまったわけです。
親との約束で、1年ということで行ったはいいが、そんなわけで第二外国語レベルのフランス語力の人が1年行ったって、たいして語学力もつかないわけです。帰国して、就職をして、このまましっかり勤めるフリをしながら必死で1年間お金を貯め、ボーナスをもらい、(いわば親も会社も騙して)1年で勤め先を辞めてまたもう1年フランスに行って(ちなみにフランスというのは、公立の学校なら学費はかからないのです)、仕事で使えるくらいにはなって帰ってきたのでした。
もう1年行ったもう一つの理由は、フランス人の彼氏ができたからで、その彼のもとに行きたい!という気持ちだったためです。
若い時って、バイタリティーがありますよねぇ。。
あの彼も今はどうしていることやら(笑)
というようなわけで、私がフランスに行った理由は、
どうしても、行きたかったから
というただそれだけの理由でした。(笑)
後になって、前世の絡みやら、自分の魂の記憶に関するさまざまな事柄を知るにつけて、なるほど意味があったのね、と納得するわけですが、その時はそんな事はちっとも分からずに、ただ惹かれるエネルギーに背中を押され、抗えない流れでそうなった、という感じでした。
そう、いちいち意味など知る必要もなく、そういう内側からの要求がある場合は、素直にそれに従っていることがその人にとっての幸せなのだと思います。
どこに行きたいとか、何をしたいとか、誰かを好きになるとか。
大体において、他人に問われて、確固たる理由などない事の方が多いものだし、それで良いのだと思います。
たとえそれが、抑圧からでも、傷からでも、インナーチャイルドからでも、過去の縁からでも、魂の願いからでも、何だって構ったこっちゃないと思うのです。問題が起こった時、それをきちんと見極めることさえ出来れば。
やってみなくちゃ、それも分からない。
子供のように自分の願いに忠実になり、それを素直に行動していると、それは自分への尊重と愛であって、他人への愛と尊重に繋がっていく。
自分の行動に責任をとれるので、納得感を得られるし、自立した心をもてます。
そのような、本当に内なる自分が願っていることというのは、普段私たちは気づいていない事も多く、自分に関して、世の中に対して、あまりにも後からくっつけた余分な情報が多いために、複雑な不幸を創りだしてしまいます。
人生のプロセスの中で、外から沢山の素晴らしいものを学び、吸収する時期もあれば、内なる素晴らしいものを多く引き出すために、外からの余分なものが、いかに害になっているかを知る時期もある。
そしたらば、それを捨てる勇気をもつ。
そんなシンプルな気づきから、本当の《喜びの行動》への道は繋がっていくのでしょう。
携帯サイトはこちらhttp://www.maria-angels.jp/m/
ココ・シャネルでフランスついでに、ちょっと思いだし話を最近の友人に語っていたら,自分でも妙にその頃の自分を懐かしく思い出してしまいました。
大学を卒業してからフランスに留学したというと、大体の人は大学は仏文科だったと思うようなのですが、私は大学ではフランス語は第二外国語で選択しただけでした。
ゼミでは言語学を専攻していて、英語でチョムスキーなどを読んでいたことは、ほとんど今では信じられない事実です。前世の記憶かと思うくらい(!?)、細かい内容は何一つ覚えていないので(前世の記憶の方がクリアな事もあったりして^^;)この件に関してはつっこまないで下さい。
何せ入学後の最初の2年間(一般過程)の時は特に、ボーイフレンドと遊びまくっていて、あまり学校に行っていず、第二外国語のフランス語なんて勉強するはずもなく、2年生の終わりに「このままでは単位を落としますよ」という状態に陥り、落ちこぼれた私は補修の授業を受けさせられたわけです。
そ~したらその補修をしてくれたフランス語講師、日本人男性の先生だったのですが、この先生の授業がめちゃめちゃ面白く、それをきっかけにフランス語に目覚めたのでした。
人生って分からないものですよね。
というか、やはり人生、出会いが重要なきっかけをつくってくれるものです。
それ以来フランスに惹かれ、アテネフランセや日仏学院にも通ったりしながら多少の勉強を続け、卒業後渡仏したわけですが、それほど勉強がしたかったわけでもないのです。
ティーンエージャーの頃から、何故か自分は一度は日本を出ないとダメだ、と思っていたので、アメリカに行こうと思っていたのですが、そんな事を機にそれがフランスになってしまったわけです。
親との約束で、1年ということで行ったはいいが、そんなわけで第二外国語レベルのフランス語力の人が1年行ったって、たいして語学力もつかないわけです。帰国して、就職をして、このまましっかり勤めるフリをしながら必死で1年間お金を貯め、ボーナスをもらい、(いわば親も会社も騙して)1年で勤め先を辞めてまたもう1年フランスに行って(ちなみにフランスというのは、公立の学校なら学費はかからないのです)、仕事で使えるくらいにはなって帰ってきたのでした。
もう1年行ったもう一つの理由は、フランス人の彼氏ができたからで、その彼のもとに行きたい!という気持ちだったためです。
若い時って、バイタリティーがありますよねぇ。。
あの彼も今はどうしていることやら(笑)
というようなわけで、私がフランスに行った理由は、
どうしても、行きたかったから
というただそれだけの理由でした。(笑)
後になって、前世の絡みやら、自分の魂の記憶に関するさまざまな事柄を知るにつけて、なるほど意味があったのね、と納得するわけですが、その時はそんな事はちっとも分からずに、ただ惹かれるエネルギーに背中を押され、抗えない流れでそうなった、という感じでした。
そう、いちいち意味など知る必要もなく、そういう内側からの要求がある場合は、素直にそれに従っていることがその人にとっての幸せなのだと思います。
どこに行きたいとか、何をしたいとか、誰かを好きになるとか。
大体において、他人に問われて、確固たる理由などない事の方が多いものだし、それで良いのだと思います。
たとえそれが、抑圧からでも、傷からでも、インナーチャイルドからでも、過去の縁からでも、魂の願いからでも、何だって構ったこっちゃないと思うのです。問題が起こった時、それをきちんと見極めることさえ出来れば。
やってみなくちゃ、それも分からない。
子供のように自分の願いに忠実になり、それを素直に行動していると、それは自分への尊重と愛であって、他人への愛と尊重に繋がっていく。
自分の行動に責任をとれるので、納得感を得られるし、自立した心をもてます。
そのような、本当に内なる自分が願っていることというのは、普段私たちは気づいていない事も多く、自分に関して、世の中に対して、あまりにも後からくっつけた余分な情報が多いために、複雑な不幸を創りだしてしまいます。
人生のプロセスの中で、外から沢山の素晴らしいものを学び、吸収する時期もあれば、内なる素晴らしいものを多く引き出すために、外からの余分なものが、いかに害になっているかを知る時期もある。
そしたらば、それを捨てる勇気をもつ。
そんなシンプルな気づきから、本当の《喜びの行動》への道は繋がっていくのでしょう。
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