私たちは、かなり小さな頃から
「こうなったらいいな」
という願いを抱きます。そして、それと同じくらいはやく、
「だけど、その願いが叶わなかったらどうしよう」
という怖れを抱くことも覚えます。
そして、その願いが叶わなかった時に傷つくことが怖いから、
「そんな願いは叶いっこないよ」
とか
「期待してもがっかりすると嫌だから、半分くらいの願いにしておこう」
とか
いう自分の心の抑制を、とてもとても早い時期に覚えてしまうのだと思います。
或は仮に似たようなパターンで傷ついたことがあろうものなら
「あ、また傷つかなくてもすむように、この辺でこのその願いや夢からは、リタイアしておこう。そうすれば痛い思いや傷つくことは避けられる。」
などと思ったりしてしまいます。
人間は膨大な量の、こうした思いの蓄積から、自分の行動をコントロールして(この自我によって)いますね。
私自身は、自分を割とチャレンジャーだとは思うけれど、それでも時々、あ~、怖いのね、私。。と思うことがあります。
「怖れ」というのは、「こうなったらどうしよう」「ああなったらどうしよう」という、起こってもいない現実を思い煩うことで、まったくもって意味のないどころか、その不安のエネルギーが不安な現実を引き寄せるという法則のことは、最近皆さんにも知れ渡っているところです。
でも、過去に似たような痛い思いがあった場合、「またそうなるのではないか」、あるいは「もうああいう思いは絶対したくない」といった思いが潜在的にあると、どうしてもそのような現実を引き寄よせてしまいます。
そしてそれに反応し、苦しみます。
その時に、それに気づくことはとっても大きなチャンスで、その怖がる自分に「ダメ出し」をせず、認めて、ハグハグしてあげて
「ああ、そうだよね、怖いよね。そりゃ怖いさね、当たり前だよね。いいんだよ、傷ついたことあるもんね。」
と抱っこして癒してあげることは、とても大切なことだと思います。
何を今さらそんな話を、、てな事ですが
でも、ほんと、今さらながら、そう思ったのです(笑)
そういう私自身が「ダメ出しをする私」(自分の許せない部分)がある限り、私の目の前には、自分にダメ出しをする人、がいなくならないからです。
あるいは自分の大切な人が「ダメ出し」を続けていくことになるからです。
あるいは自分に対して、身近な人が自分を傷つけたり、嬉しくない現実を突きつけることになるからです。
だけど、意識の焦点を高いところ(至福、幸せ感のあるところ)に合わせ続けていると、ある程度慣れさえすれば、割と簡単にそうした「不安」や「怖れ」、また「傷ついた記憶」や「思い込みのパターン」を癒し、浄化していくことが出来ます。
「高い意識」というと、実感がなかったり、分かりづらい人は
「好きなこと」「幸せだと感じる状況」「気持ちいいと感じる状況」
に身を置くこと、と平易に言い換えることもできます。
実際に行動しても、思考においても。
こういうコトをリアルに体験することは、とてもエキサイティングです。
想念、雑念は、ちょっとの隙にものすごい勢いで出てきます。
でも、それに捉えられないで、そこ(幸せの場所)に居続けること。
これもちょっと慣れないと難しいけれど、でも出来るようになります。
そうすると、起こっていることが、いいとか悪いとか、ジャッジの対象から外れてくるようになります。
あんなに沢山あった、痛みとか不安とか怖れとかが、はがれ落ちて、だんだん消えていくようになります。
そして、今起こっていることは、ただそういう現実がある、というそのコトだけで、素直な気持ちでそれを受け止められる自分が出てきます。
抵抗すると苦しいです。
認めないことは、もっと苦しいです。
それはエネルギーの流れをせき止めてしまうから、宇宙の摂理に反する力だからです。
私も日々この浄化のプロセスをやっています。
だって、次々にレベルアップしたステージが来るから。。(笑)
目の前の現実はいつも、自分が創った世界を見せてくれています。
認めて、受け入れて、癒して、浄化して、
ナビゲーションである自分の気持ちに正直に、素直に、ありのままを、大いなる自己に委ねつつ、「今」を生きていこうと思います。
だって、それ以外の事は、すごい大変なんだもの。。!!
私たちは、かなり小さな頃から
「こうなったらいいな」
という願いを抱きます。そして、それと同じくらいはやく、
「だけど、その願いが叶わなかったらどうしよう」
という怖れを抱くことも覚えます。
そして、その願いが叶わなかった時に傷つくことが怖いから、
「そんな願いは叶いっこないよ」
とか
「期待してもがっかりすると嫌だから、半分くらいの願いにしておこう」
とか
いう自分の心の抑制を、とてもとても早い時期に覚えてしまうのだと思います。
或は仮に似たようなパターンで傷ついたことがあろうものなら
「あ、また傷つかなくてもすむように、この辺でこのその願いや夢からは、リタイアしておこう。そうすれば痛い思いや傷つくことは避けられる。」
などと思ったりしてしまいます。
人間は膨大な量の、こうした思いの蓄積から、自分の行動をコントロールして(この自我によって)いますね。
私自身は、自分を割とチャレンジャーだとは思うけれど、それでも時々、あ~、怖いのね、私。。と思うことがあります。
「怖れ」というのは、「こうなったらどうしよう」「ああなったらどうしよう」という、起こってもいない現実を思い煩うことで、まったくもって意味のないどころか、その不安のエネルギーが不安な現実を引き寄せるという法則のことは、最近皆さんにも知れ渡っているところです。
でも、過去に似たような痛い思いがあった場合、「またそうなるのではないか」、あるいは「もうああいう思いは絶対したくない」といった思いが潜在的にあると、どうしてもそのような現実を引き寄よせてしまいます。
そしてそれに反応し、苦しみます。
その時に、それに気づくことはとっても大きなチャンスで、その怖がる自分に「ダメ出し」をせず、認めて、ハグハグしてあげて
「ああ、そうだよね、怖いよね。そりゃ怖いさね、当たり前だよね。いいんだよ、傷ついたことあるもんね。」
と抱っこして癒してあげることは、とても大切なことだと思います。
何を今さらそんな話を、、てな事ですが
でも、ほんと、今さらながら、そう思ったのです(笑)
そういう私自身が「ダメ出しをする私」(自分の許せない部分)がある限り、私の目の前には、自分にダメ出しをする人、がいなくならないからです。
あるいは自分の大切な人が「ダメ出し」を続けていくことになるからです。
あるいは自分に対して、身近な人が自分を傷つけたり、嬉しくない現実を突きつけることになるからです。
だけど、意識の焦点を高いところ(至福、幸せ感のあるところ)に合わせ続けていると、ある程度慣れさえすれば、割と簡単にそうした「不安」や「怖れ」、また「傷ついた記憶」や「思い込みのパターン」を癒し、浄化していくことが出来ます。
「高い意識」というと、実感がなかったり、分かりづらい人は
「好きなこと」「幸せだと感じる状況」「気持ちいいと感じる状況」
に身を置くこと、と平易に言い換えることもできます。
実際に行動しても、思考においても。
こういうコトをリアルに体験することは、とてもエキサイティングです。
想念、雑念は、ちょっとの隙にものすごい勢いで出てきます。
でも、それに捉えられないで、そこ(幸せの場所)に居続けること。
これもちょっと慣れないと難しいけれど、でも出来るようになります。
そうすると、起こっていることが、いいとか悪いとか、ジャッジの対象から外れてくるようになります。
あんなに沢山あった、痛みとか不安とか怖れとかが、はがれ落ちて、だんだん消えていくようになります。
そして、今起こっていることは、ただそういう現実がある、というそのコトだけで、素直な気持ちでそれを受け止められる自分が出てきます。
抵抗すると苦しいです。
認めないことは、もっと苦しいです。
それはエネルギーの流れをせき止めてしまうから、宇宙の摂理に反する力だからです。
私も日々この浄化のプロセスをやっています。
だって、次々にレベルアップしたステージが来るから。。(笑)
目の前の現実はいつも、自分が創った世界を見せてくれています。
認めて、受け入れて、癒して、浄化して、
ナビゲーションである自分の気持ちに正直に、素直に、ありのままを、大いなる自己に委ねつつ、「今」を生きていこうと思います。
だって、それ以外の事は、すごい大変なんだもの。。!!