季節の空気の感じや、その匂いや、風景などを通して、いろいろな人の言葉やしぐさ、出来事なんかを思い出すことってありますよね。
私が最近この暑い暑い夜に、よく思い出していた一言があります。
それは、まだ私が子供の頃や思春期の頃などは、今とちがって夜までクーラーをいれっぱなしというような事はなくて、夕飯の後、汗をかきながらスイカを食べたり麦茶を飲んでいたと思うのですが、そんな時、今は亡き母が時々父にきいていた一言です。
「パパ、お化粧おとしてきていい?」
わりと敏感肌だった母は、夏場の夜はお化粧がうっとおしくて、いつものように家族の一番最後にお風呂に入るまで待てず、早く顔を洗ってしまいたかったのでしょうが、一応父に了解をとったりしていたところが何だか可愛らしくて、今おもうと妙に愛おしく感じる一言なのです。
もちろん父も、まさかダメとは言えないし
「うん、落としてくればいい」
と、答えていました。
両親の関係性というのは、子供にとってはとても強烈な影響を与えるし、その後の異性関係にももちろん多大な影響を与え続けるわけですが、私自身も両親を愛する気持ちはありながらも、彼らの関係性を長い間否定していました。とりわけ父には、認めてもらいたと思う感情がありつつも、どうしても好きになれない、そのパーソナリティーだけはどうしても好きになれない、許せない、というような複雑な感情を持ち続けていました。
ああいう夫婦関係はイヤだとか、ああいう夫は選ばないとか、母のようには生きないとか、こういう男の人は嫌いとか、夫婦だったらこうありたいとか、etc.etc….
でも何だか、このところ沢山の自分が抱えているそうした観念を浄化し続けてきたからでしょう。変わりようのない、両親の過去の関係性が、妙に妙に愛おしく受け入れられるようになったのです。出来事は何も変わっているわけではないのに。
そして、その一言だけ聞くと、まるで仲睦まじい夫婦の一言のように聞こえる
「パパ、お化粧落としてきていい?」
という台詞とともに、何だか礼節と思いやりと気配りのある、あの時代の日本の夫婦の良さのようなものが感じられて、突然両親の夫婦関係のことを、
あれはあれで良かったんだ。
と思えたのです。
というより、良いも悪いも、あれはあれで美しい一つの夫婦の形だったんだ、、と。父はああいう形でしか母を愛することができなかったし、母はそれを精一杯受け入れて生きようとしていたのだと。2人のいっぱいいっぱいの姿であったと。。
そう思えたときに、何故か沢山涙が出てきました。
まるで何十年もできなかった事が突然起こったかのようでした。
そして亡き母が近くにきて、「ありがとうね」と喜んでくれたように感じました。
だから。。
癒しには、期限がないんだと思います。
たとえ相手が亡くなっていたとしても、癒しには手遅れということがない。
すべては自分自身の中で起こることで、それが誰かを時空を越えてまで癒すことができる。
生きている、、って素晴らしいことです。
季節の空気の感じや、その匂いや、風景などを通して、いろいろな人の言葉やしぐさ、出来事なんかを思い出すことってありますよね。
私が最近この暑い暑い夜に、よく思い出していた一言があります。
それは、まだ私が子供の頃や思春期の頃などは、今とちがって夜までクーラーをいれっぱなしというような事はなくて、夕飯の後、汗をかきながらスイカを食べたり麦茶を飲んでいたと思うのですが、そんな時、今は亡き母が時々父にきいていた一言です。
「パパ、お化粧おとしてきていい?」
わりと敏感肌だった母は、夏場の夜はお化粧がうっとおしくて、いつものように家族の一番最後にお風呂に入るまで待てず、早く顔を洗ってしまいたかったのでしょうが、一応父に了解をとったりしていたところが何だか可愛らしくて、今おもうと妙に愛おしく感じる一言なのです。
もちろん父も、まさかダメとは言えないし
「うん、落としてくればいい」
と、答えていました。
両親の関係性というのは、子供にとってはとても強烈な影響を与えるし、その後の異性関係にももちろん多大な影響を与え続けるわけですが、私自身も両親を愛する気持ちはありながらも、彼らの関係性を長い間否定していました。とりわけ父には、認めてもらいたと思う感情がありつつも、どうしても好きになれない、そのパーソナリティーだけはどうしても好きになれない、許せない、というような複雑な感情を持ち続けていました。
ああいう夫婦関係はイヤだとか、ああいう夫は選ばないとか、母のようには生きないとか、こういう男の人は嫌いとか、夫婦だったらこうありたいとか、etc.etc….
でも何だか、このところ沢山の自分が抱えているそうした観念を浄化し続けてきたからでしょう。変わりようのない、両親の過去の関係性が、妙に妙に愛おしく受け入れられるようになったのです。出来事は何も変わっているわけではないのに。
そして、その一言だけ聞くと、まるで仲睦まじい夫婦の一言のように聞こえる
「パパ、お化粧落としてきていい?」
という台詞とともに、何だか礼節と思いやりと気配りのある、あの時代の日本の夫婦の良さのようなものが感じられて、突然両親の夫婦関係のことを、
あれはあれで良かったんだ。
と思えたのです。
というより、良いも悪いも、あれはあれで美しい一つの夫婦の形だったんだ、、と。父はああいう形でしか母を愛することができなかったし、母はそれを精一杯受け入れて生きようとしていたのだと。2人のいっぱいいっぱいの姿であったと。。
そう思えたときに、何故か沢山涙が出てきました。
まるで何十年もできなかった事が突然起こったかのようでした。
そして亡き母が近くにきて、「ありがとうね」と喜んでくれたように感じました。
だから。。
癒しには、期限がないんだと思います。
たとえ相手が亡くなっていたとしても、癒しには手遅れということがない。
すべては自分自身の中で起こることで、それが誰かを時空を越えてまで癒すことができる。
生きている、、って素晴らしいことです。