ここ最近、数人の方から同じ意味のことを言われ、そのことが私の胸の中に静かにこだまし続けています。
それは、
”クリエイティブ、「創造」は苦しみをともなうものなんだよ”
という言葉です。
人類は、あまりにも道徳的な観念や、宗教的価値観を積み重ねて、自らのパワーを封印して苦しみを通してさまざまな事を学んできすぎたので、その「苦しみ」って本当に必要なものなの?
本当は苦しみは必ずしも必要不可欠なものじゃないよね?
という事を理解するために、ニューエイジ的な「ワクワク」だったり「喜び」だったり「楽しさ」だったりを通して自らを癒していた流れがあったと思います。
けれど、癒された後は何でしょうか?
やはり自己実現であり、また新しいことを「創造」していくステップが再びおとずれるのだと思います。
いつまでも癒されてて、あるいは崇高な世界があることを知って終わり、じゃない。それらを再び統合することをやりたいのだな~と思い知らされています。
その「クリエイトする」ことは、とてもエネルギーのいることで、そして気持ちを高揚させることで、そして多くの場合苦しいのだ、ということを改めて納得したように思います。
苦しいことは、何かが間違っているのだ、とか、苦しければ愛じゃないとかいう考え方もありますが、それは高次元的な考え方ではその通りですが、ここは天上界じゃない。
誰も苦しくない、誰も争わない、誰も裏切らない、ネガティブなことは何もない、そんな世界を私たちはここに実現したいと思っているのでしょうか?
私は違うと思います。
人類って本当に貪欲だと思います。
これほどまでに沢山の経験をしたがっている。何もかもを自分で体験したい、何もかをもこの肉体を通して学んで、そして次から次へと自分たちに新しいステージと課題を浴びせかけている。
それはとてもエキサイティングで、ブームは次から次へとやってきては去って行く、過去にも同じようなことやったよね、でもあの時とはあきらかに進化しているよね?みないな・・
こんな貪欲でエキサイティングな存在なのはやっぱり私たちの中のにあらゆるすべてを持っている神がいて、その神が自らを見たいからに他、ならないのでしょうね・・
ここ最近の嵐のような波動のうねりの中で、セッションにみえるクライアントさんの多くは、号泣されたり、普段の数倍の量の涙をたくさんたくさん流していかれました。その流れを今もちょっと続いていますが・・
でも、それを見ながら私は、「良かったね」と思います。
それは泣いて気持ちを解放できるから、とか素直になれたから、とかそんなレベルの話ではなくて、その方々の奥深いところから、もう新しいクリエイティビティが始まっているのが見えるからです。
体がたとえ虫歯ひとつでも、体の一部分を失う時に体全体が嘆き悲しむように、たとえ古い観念でも、もう完全に必要ないのだと分かっているものにしても、人間は慣れ親しんだものを手放す時には痛いのだと思います。
でも、その手放したいという気持ちや、そういう決意を、表面意識ではまだできていないとしても、私を前にして、そういう宣言をしていくれている、その姿が何とも私には美しく、素晴らしく見えるからです。
苦しい思いなんて、誰もしたいとは思いません。
平穏無事に、心穏やかに、幸せな気持ちで、いい気分で、暮らしていけたらそれは確かに素敵なこと。
でも、魂が本当に願っていることを得るために、時々苦しい思いがあったとしても、それが何でしょうか?
人間は、ちゃんと苦しみを乗り越えられるように体ができている。
忘れることもできるし、新しい考え方をしはじめることもできる。
新しい環境に自分を置くことも、本当は自由だし、
新しい自分を創っていくことだって、本当は本当はできるのです。
そのためにちょっと苦しかったとしても、一体それがなんぼのものでしょうか?
ってね。
そんな風に思えない時もあります。
ず~っと何ヶ月もふとんかぶってじっとしていたい時もありますよね。。(笑)
だけど、どんな人にも必ず人生の波がきます。
波がきたらそれに乗らなくちゃね。
クリエイティブは苦しいこと。。
それは「産みの苦しみ」
だって、新しいものを産み出すんだものね。
だからその苦しさなんて、忘れてしまうくらいの喜びがある。だからやるんだよね。。
第二チャクラのキーワードは
「セクシャリティー」であり「パートナーシップ」であり「創造性」
新しい命を地上に降ろして、その命に肉体持たせて、地上に送り出すことまでもやってのける「創造力」をもっている。
すごい創造性を一人一人がもっている。
試行錯誤して、こうしたい、でも何なんだろう、どこなんだろう、ん~違う,違う、どこかが合ってないのよ、そこじゃないのよ・・!とかうめきながら、悶えながら、創造していくのでしょう。
クリエイティブは苦しいこと、痛いこと。
だけど、それが何か・・?
(笑)と思えて来た私は地上へのコミットがますます強まってきたのかもしれません。。
ここ最近、数人の方から同じ意味のことを言われ、そのことが私の胸の中に静かにこだまし続けています。
それは、
”クリエイティブ、「創造」は苦しみをともなうものなんだよ”
という言葉です。
人類は、あまりにも道徳的な観念や、宗教的価値観を積み重ねて、自らのパワーを封印して苦しみを通してさまざまな事を学んできすぎたので、その「苦しみ」って本当に必要なものなの?
本当は苦しみは必ずしも必要不可欠なものじゃないよね?
という事を理解するために、ニューエイジ的な「ワクワク」だったり「喜び」だったり「楽しさ」だったりを通して自らを癒していた流れがあったと思います。
けれど、癒された後は何でしょうか?
やはり自己実現であり、また新しいことを「創造」していくステップが再びおとずれるのだと思います。
いつまでも癒されてて、あるいは崇高な世界があることを知って終わり、じゃない。それらを再び統合することをやりたいのだな~と思い知らされています。
その「クリエイトする」ことは、とてもエネルギーのいることで、そして気持ちを高揚させることで、そして多くの場合苦しいのだ、ということを改めて納得したように思います。
苦しいことは、何かが間違っているのだ、とか、苦しければ愛じゃないとかいう考え方もありますが、それは高次元的な考え方ではその通りですが、ここは天上界じゃない。
誰も苦しくない、誰も争わない、誰も裏切らない、ネガティブなことは何もない、そんな世界を私たちはここに実現したいと思っているのでしょうか?
私は違うと思います。
人類って本当に貪欲だと思います。
これほどまでに沢山の経験をしたがっている。何もかもを自分で体験したい、何もかをもこの肉体を通して学んで、そして次から次へと自分たちに新しいステージと課題を浴びせかけている。
それはとてもエキサイティングで、ブームは次から次へとやってきては去って行く、過去にも同じようなことやったよね、でもあの時とはあきらかに進化しているよね?みないな・・
こんな貪欲でエキサイティングな存在なのはやっぱり私たちの中のにあらゆるすべてを持っている神がいて、その神が自らを見たいからに他、ならないのでしょうね・・
ここ最近の嵐のような波動のうねりの中で、セッションにみえるクライアントさんの多くは、号泣されたり、普段の数倍の量の涙をたくさんたくさん流していかれました。その流れを今もちょっと続いていますが・・
でも、それを見ながら私は、「良かったね」と思います。
それは泣いて気持ちを解放できるから、とか素直になれたから、とかそんなレベルの話ではなくて、その方々の奥深いところから、もう新しいクリエイティビティが始まっているのが見えるからです。
体がたとえ虫歯ひとつでも、体の一部分を失う時に体全体が嘆き悲しむように、たとえ古い観念でも、もう完全に必要ないのだと分かっているものにしても、人間は慣れ親しんだものを手放す時には痛いのだと思います。
でも、その手放したいという気持ちや、そういう決意を、表面意識ではまだできていないとしても、私を前にして、そういう宣言をしていくれている、その姿が何とも私には美しく、素晴らしく見えるからです。
苦しい思いなんて、誰もしたいとは思いません。
平穏無事に、心穏やかに、幸せな気持ちで、いい気分で、暮らしていけたらそれは確かに素敵なこと。
でも、魂が本当に願っていることを得るために、時々苦しい思いがあったとしても、それが何でしょうか?
人間は、ちゃんと苦しみを乗り越えられるように体ができている。
忘れることもできるし、新しい考え方をしはじめることもできる。
新しい環境に自分を置くことも、本当は自由だし、
新しい自分を創っていくことだって、本当は本当はできるのです。
そのためにちょっと苦しかったとしても、一体それがなんぼのものでしょうか?
ってね。
そんな風に思えない時もあります。
ず~っと何ヶ月もふとんかぶってじっとしていたい時もありますよね。。(笑)
だけど、どんな人にも必ず人生の波がきます。
波がきたらそれに乗らなくちゃね。
クリエイティブは苦しいこと。。
それは「産みの苦しみ」
だって、新しいものを産み出すんだものね。
だからその苦しさなんて、忘れてしまうくらいの喜びがある。だからやるんだよね。。
第二チャクラのキーワードは
「セクシャリティー」であり「パートナーシップ」であり「創造性」
新しい命を地上に降ろして、その命に肉体持たせて、地上に送り出すことまでもやってのける「創造力」をもっている。
すごい創造性を一人一人がもっている。
試行錯誤して、こうしたい、でも何なんだろう、どこなんだろう、ん~違う,違う、どこかが合ってないのよ、そこじゃないのよ・・!とかうめきながら、悶えながら、創造していくのでしょう。
クリエイティブは苦しいこと、痛いこと。
だけど、それが何か・・?
(笑)と思えて来た私は地上へのコミットがますます強まってきたのかもしれません。。