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感情って何だろう


感情って何であるんでしょうね。私たち毎日いろんな出来事にでくわして、怒ったり、喜んだり、がっかりしたり、悲しんだり、悔しがったり。感情があるから心は傷ついたり、癒されたり、結構忙しいですよね。頭では分かっていても、気持ちがついていかない、ってこともよくあります。 感情があるから、人間辛い思いもたくさんして、トラブルの原因になったり、それがしこりになっちゃったり、いろいろややこしい事も生み出したりします。 そして感情があるから、素晴らしい 、忘れられないほど幸せな体験もできるし感動的な出来事や、美しい想い出をつくることもできます。


でも、もしも人間に感情が無かったら。。って思ったことありませんか?この地球にはどんな世界が展開されていたことでしょう。何かいいことがあっても、感情がないから「うん、よし」とだけ感じて別に嬉しくない。そのかわり凄い悲惨な状況に出くわしても「遺憾だ」とかだけ思って別にショックや悲しみは受けない。ひどい仕打ちをされても別に怒らないけど、すごく親切にされても感激することもない。う?ん、やっぱり何とも味わいのない生活ですね。喜びも苦しみもなくて(苦しい出来事の中でも苦しみを苦しみと感じなければ楽かもしれないけれど、乗り越えた時の喜びもないので)魂の学びもいまひとつ大きな成長が遂げられないように思います。 感情ってやっぱり、人生を豊かな味わい深い、そして学び深いものにするために私たちに与えられている、人生という料理の味付けのようなものでしょうかね。


一人一人の魂は、それぞれいろんな目的でこの地球上に生まれてきていて感情を持ちながら各々の修行を日々やっている、と私は解釈しているのですが先に述べたように、感情があるから学びも深くなるというものですがともするとこの感情の波にどっぷりと漬かってしまって、自分というものを見失ってしまうこともあるようです。 あるいは感情の抱き方に妙な癖がついてしまって、ストレートにその感情を味わいきれないことなども出てきます。これは結構やっかいな癖で、例えば本当は愛情が欲しくて寂しいのに、他のことで自分強く見せることでそれをうち消したり、喜怒哀楽を素直に表現することを何らかの理由で良くないことだと思ってしまっていると、だんだんと素直な自分は奥へ奥へとしまい込まれてしまいます。あるいは、感情の起伏が激しすぎて、理性の入り込む余地が無いほどに感情をコントロールできない場合なども本来の自分を失う、という意味においては同様です。


どちらの場合にしても、感情というものに振り回されているうちはそこから抜け出て成長することができません。一つのアプローチとしては、パターン化されて繰り返されている自分の感情の起こり方を「もう一人の自分」となって冷静にみつめる機会をもつことです。その現象の中で、自分はこんな感情を今もっている、というもう一回り外側の自分に意識を向けてみます。これだけでも大分いろいろな発見のプロセスがあります。やっているうちに、その感情にどっぷり漬かっている自分とはまた違う自分がいることに気づいてきます。

また別のアプローチは、その感情を徹底的に味わって苦しいなら苦しい、悲しいなら悲しい、悔しいなら悔しいに徹底的になり切り尽くす、という方法もあります。この場合はとにかく徹底的に味わい尽くすことです。この時は感情を冷静に見つめる自分もつくらず、慰めもせず全身全霊で覚悟を決めてその感情になりきります。多くの場合、いつしか感情は燃え尽き、薄らいでいくものです。 こちらの方が勇気がいるかもしれませんね。


必要なことは、とにかくありのままを見つめる勇気をもつことです。この起こっている感情を否定したり、都合良く婉曲させようとすると、さらにやっかいになります。素直にそのままを認めることです。いろいろな現象に対して、自分はただ、今こうなのだと。そうすることで、少しずつ広い視野をもてるようになり、だんだんと中立な意識へとうつっていく自分を発見してゆきます。


私が思うのには、通常人間が抱くあらゆる感情の根底にあるものは「寂しさ」だと思っています。怒り、悲しみ、喜び、悔しさ、 どれも根底に寂しさがあるから感じるように思います。人生において何かを求める、普通の家庭をもつ幸せだったり、権力、地位、お金、名声やりがいのある仕事、 人によっていろいろですが、それはみな最終的にはこの根底にある「寂しさ」から脱却するプロセスとしてそれぞれが選択している道のように感じています。

では何故人間は根底に寂しさをもって生まれてくるのでしょう。人はみな、肉体をもっていて、その体が自分だと思っています。頭で考え、その信号を体に送り、形は無いけど心があり、感情がある。お母さんのお腹の中で卵が出来てお父さんの精子と一緒になって、自分が出来上がった。では、それより前はあなたはいなかったのでしょうか。機械やパンか何かのように、材料をミックスさせて突然できあがったものに突然命と心が吹き込まれて、体が朽ち果てる肉体の死と同時にあなたはいなくなるのでしょうか。それはあまりにも不自然な考え方だと私には思えます。

魂という言葉は人によってはピンと来ない表現かもしれませんが、あなた自身の魂というものを意識するようになると良いと思います。命のおおもとが宇宙にあって、そこから一人一人の魂がちぎれていろんな個性として存在している。その分かれてきた時からあなたはもともと寂しいのです。あらゆる感情の根底にある寂しさは当然ともいえる 感情なのです。

でも!わざわざ自分でちぎれてきたのですから、実は納得の上で寂しがっているようなものです。いろいろな感情を味わいながら、いろいろな経験を通して成長するために。大好きなマザーテレサの言葉に「人は愛されて人間になり、愛して大人になる」という言葉があります。愛は人間が人間たる基本であり、 命の根底にあるものと考えます。その愛と寂しさを存在の奥深くにかかえて、私たちは地上生を今日も生きています。感情は 人生を豊かにするため。もっともっと成長するため。

いつか感情を越えて存在する時まで、私たちは今日もこの時の感情を味わいながら生きています。

 

目の前にいる人は必要な人?

 

会社勤め時代につくづくと感じたこと。「仕事してて何が一番イヤって、忙しいとか、仕事が大変とかつまらないとか、お給料が不満とかっていうのはまだ我慢できるけど、仕事場の人間関係のストレスっていうのは一番耐えられないよね?」って、いくつかの職場を経験して実感しました。仕事場じゃなくても、いろいろな場所で似たような思いをもった人も多いと思います。

何で私はこんな人と顔合わせなくちゃいけないわけ?どうしてこういう人っているの?どうやったらこの人のイヤなところは直るのかしら?みたいな気持ちをもつこともありました。人間何がつらいって「どうして自分がこんな状態でいるのか分からない」といった理不尽な思いとか、「こんなはずじゃない」「なんでこんな事になったんだろう」というような自己の状態や存在を肯定できない気持ちの時が一番つらいのではないでしょうか。

目の前に現れる人って、全部自分が引き寄せているので理由もなく出会っている人は一人もいないのですけれども、大抵の人の場合はすべては偶然か何かでできていると思っているので、今自分のいる状況、目の前にいる人とかその人との関係性を受け入れられなかったりします。つまりこれが苦しみのもとになっているわけです。

目の前にいる人は自分の鏡だ、という言葉をきいたことがあると思います。これは現れる人は自分と似た人、という意味ではなくて(そういう場合もありますが、そしてその似ている部分がいやだったりしますが)そういう意味だけではなく
自分が気づくべき部分を見せてくれる人、 つまりは自分が何らかのことを学ぶべき相手である場合が多い、ということを言っています。学ぶ、というのはその人から教えてもらうというだけでなく、むしろ大変な状況から学び取るというケースも多いのです。 その証拠にその相手との学びが終わった時には、その相手は突然目の前からいなくなったりします。また、自分のために必要な学びから逃げて安易な選択をしたりすると、結局似たような状態に再び陥ったりします。どちらにしても学ぶべきことを学ぶ、ということでは同じなので、できれば 逃げないで、その意味を受け入れつつ自己改革する方が得策ですね。

そしてさらには、○○の状態になってしまった、、という現状から○○の状態を自分で創った、という人生に変えていきたいですね。まずは日々の自分を素直に受け入れることから はじめてみませんか。

 

夢はなぜ見る

 

夢をみている時の私たちって本当に不思議ですよね。体は 寝ているのに、脳は動いていて、縦横無尽にいろいろなところを旅して活発に活動しています。夢の中での活動は、私たちが目覚めている時の意識による制限をはずしたところでとてもたくさんのことをやっているようです。

夢を見るという現象については、まだまだ解明されていない事が多いので普通私たちの常識では、現実の世界が実で夢の世界は虚、つまり実在しない世界だと認識しています。でも果たして本当にそうでしょうか。

この3次元の世界で肉体とか時間、空間の中で生活しているこの現実だけを現実とすると、夢の中の世界はおかしな事だらけです。 ある所にいたと思ったら、次の瞬間には全く別の場面に移っていたり違う時代に生きているはずの人が同時に登場してきたり人間なのに空を飛んでいたり、ナンセンスな事を言っていたり。。この世的な感覚からしたら、全く意味を成さない事も沢山起こっています。またドラマのような夢ばかりでなく、色とか模様や図形のような夢を見る人や奇妙きてれつなおかしな夢、怖い夢ばかり見る人などもいるようです。

おきている時の自分の意識が影響していて、そのバランスを取っているという考え方もあるようですが、それだけでは語りつくせない無限の世界が拡がっています。この夢の中で何かやっている自分を単なる「夢」ということで片づけず、3次元に生きる自分のもう一つの活動の場所として意識しはじめると結構夢の世界が現実化(?)してきます。それこそ夢が拡がる、というものです。(笑)夢日記をつけるといい、というのも、 夢の中の自分と3次元の自分を繋ぐ架け橋ができやすくなるから、ということです。この夢がこれこれこういう意味だ、ということがはっきり分かる必要は必ずしもないのですがその夢の中のエネルギーを感じ取っていくことで、この3次元の生活の中で現象や既成概念にとらわれない、より拡がった世界に生きられるようになります。インスピレーションや、より深い自分自身を感じ取れるようにもなるのです。夢なんてほとんど見ない、覚えていない、という人は 寝る前に「夢を覚えていよう」と意識して寝る練習をすると結構覚えているものです。

あなたも今日から、もっと夢を意識して楽しんでみては?きっとその中には自分への静かなメッセージ、起きている時自分を制限しているものを越えて自分を拡げる可能性が広がっているはずです。

 

自分の心のくせを知る

 

無くて七癖、といいますけれど、ちょっとした表情とか、体の動かし方のくせ以上に考え方とか、感じ方、心のくせってあるものです。大体が、いつからそうなったのか分からないくらい前からのもので、人に言われたりするとあまり気分が良くないのが普通です。でもその心の癖をよ?くよ?く見つめていくと、結構自分自身の成長のキーポイントを発見できます。

私は思春期の頃から、漠然とした空しさとか不安感をもつことが多く、2000年の転換期に至るまでそれは続きました。朝目が覚めてから意識がはっきりするまでのほんのひとときの時間に意識には昇ってこない、その時の深い感情の状態が胸に感じられるのですが、随分長い間、朝起きると漠然とした不安を胸に感じていました。そして、はっきりと目が覚めて、活動を開始し、日中は意識で元気にやっていて夜寝る時は、それなりに充実して幸せなはずなのに、夜寝て朝起きると再びその不安は胸に再現されてしまうのでした。当時、自分ではどうにもならないことでした。

自分が何ものであるか、という問いは常に私の中にあり自分のやるべき事をしっかりと見いだしたい、という欲求も常にありました。常に自分探しをしていました。でもそのかいあって、少しずつ必要な手がかりや出会いを経験することができ2000年に出会ったある方から、その私の不安について「それは魂のくせだね」と教えてもらいました。魂のクセ!!魂にクセがついていたら、いつかはそれを直さなきゃ、何度生まれ変わったって同じことになっちゃう。。。

その方とはとてもご縁が深かったこともあり、出会いはとても強烈なものでした。「大丈夫エネルギー」をその出会いからいただいて、それ以来、本当に大丈夫になりました。今生の、その時の私に影響を及ぼしている過去生のことについても教えていただきました。「思い出すだけでいいんですよ」事も無げにそう言われました。そして本当に大丈夫になりました。

でも今私は思うのです。その出会いを引き寄せたのは、自分自身の意志であったと。決して「運良く」タナからボタモチ的ふってわいた幸運などでは無かったろうと。その意味では、苦しんだことも多かったけど、求め続けてきて良かったと思っています。決してあきらめないで。決して自分のありのままの姿から目をそらさないで。

誰にでもそういう転換期は訪れるのです。願いさえすれば。それはまず、自分自身をしっかりとみつめること。そしてそれを願うことから始まります。

「私はそこまで一生懸命になれない」って思いますか?それも心のクセでしょうか。それでも大丈夫。まずはそんな自分にOKを与えてあげることです

 

内なる願望の実現

 

人は皆自らの深いふか?いところにおいては、一つの人生において、こういう事を学ぼう、こういう面において成長と向上を遂げようという目標のようなものを持って生きているものです。それは、ほとんどの場合意識に昇ってくることもなくて目の前に起こっている現実の出来事を通して、それらを学ばざるをえない状況になったり、又はそれが自らの深い願望であるにもかかわらず問題の根本から目を背けたり、誰か他の人のせいにしてみたり後回しにしてみたり、寄り道をしてみたり、というのはよくある事です。

まあ、寄り道も、後回しも、その時の段階とペースに応じた選択でそれが悪いというわけではないのですが、どっちにしろそれら(成長のための課題)を直視しなければならない時、というのはやってきます。それはその人の魂の願う強さにもよるし、その人の許容量にもよると思うのですが、多くの場合唐突にけれどもなるべくして、必ず目の前にやってきます。そのような成長のためのレッスンがやってきた時に、どう対処するかによって自らの人生の達成度というのは大きく変わってくると思います。

乗り越えるべき課題が与えられた時というのは、大抵は辛さをともなうものですが、この時にどういう意識をもつかというのは大変重要です。どんな事も必ず良い方向へ変換していく、という意識は必要かつ充分な条件ですが、これはいかに自分自身を信頼できるかという事です。 自分自身なんて信頼できない、という場合でも「私はできる」「すべては良い方向に変換します」「感謝します」などの言霊を用いるなどして、自分自身、よい方向へ向かうんだ、という方向性のエネルギーをつくり出します。これが出来ただけでも、ほぼその問題はクリアできたようなものです。時間と程度の差こそあれ、必ず現実を伴って意識の変化が起こってきます。状況に応じて、さまざまなツールや外部からのサポートを得ることも有効な時もあるでしょう。けれども最終的には、自分で課題を克服し自らの成長への深い願望に気づいてそれを実現する、ということに尽きます。

それが出来た時には、人生っていいな、というようなすがすがしい気持ちと喜びと達成感に満たされてまた次の段階に向けて進んでいくエネルギーが与えられるのです。以前とは全く違う自分が出来上がった状態です。 そのような喜びの状態を思うとき、問題から目を背けて、気を紛らわすような事で満足したり他人のパターンを自分にあてはめて解決したような気になったりまた現実を伴わない仮想現実の意識だけが先走って机上の空論を生きたりすることがいかに残念なことかを思います。

この世の中には、本当に沢山の人間とたくさんの意識たちがうごめいていて、そのそれぞれが人智を越えて、精妙に影響しあいながら私たち一人一人が存在しています。

「私」というたった一人の人の意識が一歩でも二歩でも向上することは全体の飛躍への一番の条件であって、貢献です。表現形態の差は、あまりにも変化に富んだものですがいかにその時の「私」の魂の純粋な願望に耳を傾けそれを生きるか、ということにこそ「個人」と「全体」の幸が存在するのを実感します。

「幸せって何だろう」その問いの答えは必ずその中に存在します。

 

霊的成長と肉体と努力

 

一昔前までは、日本人というのは世界でも勤勉で努力家ということで通っていましたが最近では、本当にそうなのかしらと思うことがしばしばあります。まあ、「努力」 とかいう言葉も、何だかすご?く古くさくてどちらかというとできればそんな事はしないで、happyになりたいというような風潮だと思います。ちなみに今の世の中、努力したってどうにもならない事だらけじゃないか、とはなから諦めてしまっているような若いコも多いと思います。

霊的な(つまり、内面的、精神的、全存在的)成長の分野においてもニューエイジという言葉から受ける印象のようにとにかく気持ちよくて、快適な、ワクワクする事だけやっていれば福がくる、みたいな安易な思いこみの世界というのが
できていると思います。こういう思想というのも、自分を否定している場合に自己肯定とリラクセーションを呼び起こすような場合にはとても意味あることだと思いますが実際に肉体をもったこの3次元の世界で誰でも彼でもが、むやみに楽しいと思うことだけやっていてもハメツするだけです。

自分の内なる個性や、霊的成長の気づきに目覚めたときそれを、どう現実に顕現するかというのが本当に大切なところだと思います。それは私個人にもいえることで、今の時代霊的気づきというのは、どんどん進みやすい波動状態の中で生きていますので、 意識レベルはどんどん進化してしまいます。それをどう肉体をもった自分が、現実の中で顕していくか、というのがまさに一番大切なところです。

例えば瞑想をして、ヒーリングワークやセラピーを受けてあるいは日々の生活や本を通していろいろな気づきを得たからといってあとは口を開けて待ってさえいれば、タナからボタモチのように良いことが降ってくるというわけではないのです。そこから先は、自分の意志次第。いわゆる、古くさい「努力」があるかないかで全然その気づきの活かし方が変わってきてしまうのです。「努力」がイヤなら、「ちょっとのヤル気と勇気」でも良いのです。要はエネルギーの方向設定と現実化を自分で 行う、ということです。

世の中に数あるヒーリング、セラピー、カウンセリング、占い、風水、自己啓発法なども、一重にこの自分本来の「ヤル気」に立ち戻すためにある癒しと手法ともいえると思います。それがどういうものであれ、そこから自分に本当に必要なものを得ればそれで良く、そこから先は自分の「勇気」のようなものだと思います。

大切なポイントは、「自分が自分をちゃんと感じている」ことと「こうなりたい」という思いと意識の強さです。

《”気づき”に基づいたちょっとした一つの行動。》これにはタイミングも重要で、ちょっと時間も必要かもしれない。でも実際 は、これほどワクワクに満ちた行為はないのです。その時、私たちの体は、高いエネルギーを自分の体を通して外に放つ地上における 高次元波動流通媒体となっているからです。

今の世の中、意外にそんなエネルギー状態を簡単に手に入れる道もあったりするかもしれません。そんな風に生きている人と接したりする事もよいかもしれません。 まずは「求めよ、さらば与えられん」です。


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