ダンスの稽古場の床は、だいたい木だったりして、大の字に寝っ転がって身を投げ出しても、胎児の形にうずくまったりしたくなっても、そんな私たちを受け止めてくれるから気持ちいい。

子供の頃の夏休み、暑くて暑くて退屈で、、という日は実家の木の廊下(昔は広々とした廊下があったのです)に寝そべって、床の冷たさを味わうのが好きでした。
子供の頃は、だいたいみんな、自分を誰かが受け止めてくれるって信じているんだよね。だけど大きくなるにつれて、そんな気持ちがだんだん疑いに変わっていったりもする。ありのままの自分なんて出していたら、この世の中で生きていくことなんて許されないのだという刷り込みをされながら生きていくことも多い。日本人には特に多い。

セラピストとかやってて、やっている事の本質は本当はそのことだけ。あなたはあなたでいいんだよ。ありのままでいいんだよ。答えが自分の中にあるんだよ。あなたの本質は光なんだよ。いろんな可能性が眠っているんだよ。。自分を受け止めるのは自分なんだよ。自分への愛なんだよ。自分て愛なんだよ、ほかの全てと同じように、、。

そのために、いろんな人のブロックされた側面をライトアップしたり、寄り添ってその扉が開かれるのを見守ることは、全く苦痛ではないし、むしろ喜びです。

だけど、時々腹が立つこともある。。

それは、もう十分に準備が出来ているというのに、その本人がその扉を開くちょとした勇気を出さずに、ぐずぐず同じところに留まっている時。

もちろんクライアントさんの場合には怒ったりしないけれど、身近な人の場合には、セッションするわけにもいかないし余計腹が立つことがあります。その人の中に素晴らしいものが見えれば見えるほどそういう思いは強くなります。もちろん本人にしてみれば、そうしたくてもどうにもならないのだと言うのでしょう。
だけど、本当にそうなの?
本当に自分が何を願っているのか、見ようとしていないだけなんじゃないの?
甘えてんじゃないわよ。。
逃避してんじゃないわよ。。
(って、ワタシ、コワイ。。)(^^;

日常生活で、まず怒るっていう事はないですけれど、実は私って意外に気が短いのかも、、と思ったりもします。
それは多分、この時を生きている、この一瞬一瞬がいかに貴重なものかを感じているからかもしれません。
前世が何さ、カルマが何さ、丸ごと受け入れればいいじゃないか。自分が選んでやった事じゃないさ。

な~んて事は普段は言わないんですけどね、、。

稽古場の床には、いろんな人のいろんな思いをずっとずっと受け止めてきた、そんな包容力と静かな優しさがあって、私の心を包んでくれます。

男と女でも、「分かり合えるはず」
と思った瞬間からウソになる。

人間同士でも、「あの人なら分かってくれるはず」
と思った瞬間から束縛とコントロールになる。

本当の信頼は、もっと開け放ってしまったところに自然と存在しているもの、、。
そう思い始めた時から、すべてが私を受け入れてくれるようになったような気がします。。
すべて、、いや、すべてではないかもしれないけれど、、。
まだまだ制限解放中でしょうけれど、、。

だけど、、

私は感謝しています。

精一杯、そして最大限に私を受け止めてくれる

この世に存在するすべての人に。

あなたに。。

稽古場の床に。。

大地に。。。

ダンスの稽古場の床は、だいたい木だったりして、大の字に寝っ転がって身を投げ出しても、胎児の形にうずくまったりしたくなっても、そんな私たちを受け止めてくれるから気持ちいい。

子供の頃の夏休み、暑くて暑くて退屈で、、という日は実家の木の廊下(昔は広々とした廊下があったのです)に寝そべって、床の冷たさを味わうのが好きでした。
子供の頃は、だいたいみんな、自分を誰かが受け止めてくれるって信じているんだよね。だけど大きくなるにつれて、そんな気持ちがだんだん疑いに変わっていったりもする。ありのままの自分なんて出していたら、この世の中で生きていくことなんて許されないのだという刷り込みをされながら生きていくことも多い。日本人には特に多い。

セラピストとかやってて、やっている事の本質は本当はそのことだけ。あなたはあなたでいいんだよ。ありのままでいいんだよ。答えが自分の中にあるんだよ。あなたの本質は光なんだよ。いろんな可能性が眠っているんだよ。。自分を受け止めるのは自分なんだよ。自分への愛なんだよ。自分て愛なんだよ、ほかの全てと同じように、、。

そのために、いろんな人のブロックされた側面をライトアップしたり、寄り添ってその扉が開かれるのを見守ることは、全く苦痛ではないし、むしろ喜びです。

だけど、時々腹が立つこともある。。

それは、もう十分に準備が出来ているというのに、その本人がその扉を開くちょとした勇気を出さずに、ぐずぐず同じところに留まっている時。

もちろんクライアントさんの場合には怒ったりしないけれど、身近な人の場合には、セッションするわけにもいかないし余計腹が立つことがあります。その人の中に素晴らしいものが見えれば見えるほどそういう思いは強くなります。もちろん本人にしてみれば、そうしたくてもどうにもならないのだと言うのでしょう。
だけど、本当にそうなの?
本当に自分が何を願っているのか、見ようとしていないだけなんじゃないの?
甘えてんじゃないわよ。。
逃避してんじゃないわよ。。
(って、ワタシ、コワイ。。)(^^;

日常生活で、まず怒るっていう事はないですけれど、実は私って意外に気が短いのかも、、と思ったりもします。
それは多分、この時を生きている、この一瞬一瞬がいかに貴重なものかを感じているからかもしれません。
前世が何さ、カルマが何さ、丸ごと受け入れればいいじゃないか。自分が選んでやった事じゃないさ。

な~んて事は普段は言わないんですけどね、、。

稽古場の床には、いろんな人のいろんな思いをずっとずっと受け止めてきた、そんな包容力と静かな優しさがあって、私の心を包んでくれます。

男と女でも、「分かり合えるはず」
と思った瞬間からウソになる。

人間同士でも、「あの人なら分かってくれるはず」
と思った瞬間から束縛とコントロールになる。

本当の信頼は、もっと開け放ってしまったところに自然と存在しているもの、、。
そう思い始めた時から、すべてが私を受け入れてくれるようになったような気がします。。
すべて、、いや、すべてではないかもしれないけれど、、。
まだまだ制限解放中でしょうけれど、、。

だけど、、

私は感謝しています。

精一杯、そして最大限に私を受け止めてくれる

この世に存在するすべての人に。

あなたに。。

稽古場の床に。。

大地に。。。