ふた昔くらい前、つまり80年代から90年代にかけて、女性が男性と肩を並べて働くようになってきた頃、性別を越えて平等に働いたり出世(何かこの言葉既に懐かしい響き。。)したりできる時代になったとか言われて、その気になった女性は企業などでも頑張っていたんだけれど、ふと気がつくと、そこにはガラスの天井のようなものがあって、女性は見えなかったそのガラスの天井につっかえて苦しむのだ、というような事を言われました。

今は当時にくらべて女性も男性と同じ機会を。。!と声高らかに言うよりは女性は女性らしさを活かしながら、女性である事を楽しみながら仕事したいよね、という風潮だと思いますが、この「ガラスの天井」というのは、実は、向上を目指すどんな人の上にも立ちはだかっている気がします。それは、そこまで行ってみないとその存在に気づかない、まさに見えない天井のようなものだと思います。

たとえば、「自分らしく生きる」とか、「本当の自分を生きる」とか言われても、「自分らしい」とか「本当の自分」てどんなだか分からない人の方が多いのかもしれません。そういう人はガラスの天井の少し下にいて、とりあえず上を見えれば空があるし、上っていく気があれば上っていけそう。でも上っていく気が特になければ、このままでもそれほど不自由もしないかもしれません。

一方「本当は自分てこうなんだよな」とか「本当の自分がいるように感じているけれど、今はそれを生きていない」とか「本当は自分を変えるために今こそ何とかしたい」と感じている人は今まさにガラスの天井のところまで来ている人だと思います。

これを突き破っていくかどうかは、その人自身が自分の人生をどうしたいかという意志の問題で、いくらこの人生において様々な状況設定を生まれる前にしてきたとしても、それらの可能性をどこまでどれだけ引き寄せるかは、その人自身の思いと行動にかかっていると思います。

今、つっかえている、そのつっかかった感じ、突き破りたい感覚、どうやったら突き破れるのか、、自分はこれを越えていきたいのだ、、その思いこそがそれを突き破る原動力になっていくことと思います。

いろんな突き破り方があると思います。
力任せにガラスに体当たりして、砕けたガラスの破片が体中に突き刺さって血だらけになってでも、今すぐこれを突き破りたい人。(ちょっとイタイですけどね(^^; )
或は綿密に計画を立てて、そのガラスを切り取る電動ノコギリか何かを周到に用意して、しっかりと通路を空ける人。ずっとずっと端まで歩いていって、ガラスの天井が途絶えているところまで歩き続ける人。何かの魔法をみつけて一瞬のうちに天井を消す人。反対に自分に魔法をかけてそのガラスの天井を突き抜ける体を得る人。
ちょっと抽象的ですが、さまざまな方法があると思います。

世の中にはいろんな成功法則哲学だとか、引き寄せの法則だとか、夢をかなえる方法だとかが存在しますが、どうしてこれがある人たちには機能して、ある人たちには機能しないのか、その違いは何なのかといえば、それは各自に抱えている問題が違うからで、まさに自分のガラスの天井がどんなものなのか、分かっていなければそれを解決することは出来ないのだと思います。

平たくいうと、自分を知る事なくしてどんな問題も本当には解決しないのかもしれないし、どんな夢も本当には実現したとは言いがたいのかもしれません。自分のことは分かっているし、どうすればいいかも分かってはいるけれど、それがなかなか出来ないんだという人がいますが、それははっきり言って分かり方がまだまだ甘いんだと思います。

こんな事をいうと、相当苦労しなければいけないような印象を与えるかもしれないですが、そんな事はなくて、それは観念の問題なのでその観念を変えることが出来ればいろいろと楽に解決する事が可能です。
この観念というのもクセもので、自分がその観念にどっぷり浸かっている時は、そういう観念にハマッているのだという事すら認識できません。だから自分がそういったいろんなジャマくさい観念に自分の人生を左右され、翻弄されているのだ、という事をまず認識する事からだと思います。これは一人ではなかなか出来なくて(伝統的な修行は一人でするものが多く、途方もなく時間がかかります)、他の人々の存在というのがとても自分を助けてくれます。他の人が助けてくれるといっても、他の人から教えてもらった事をそのまま鵜呑みにする事とは違います。他の人との接触や交流を通して自分で気づくということです。気づきというのは、自分で気づくからこそ「気づき」です。ご縁のある人の場合、その人たちが強烈な学びを与えてくれる事も多いものです。人生のトラブル、さまざまな厄介ごとも、まさにこのために存在するといっても過言ではないと思います。これからは、これらをいかにシンプルに減らしていくか、そしていちいちすごい痛い思いとか、大変な努力をしなくても、思ったことが現実となって叶っていくような、そういう脳を創っていくことだと思います。

「ガラスの天井」という言葉を思い出してから、それを溶かすものとして一緒にきたインスピレーションは「プリズムの七色の光」でした。
プリズムや水晶などに光を当てると七色の光が輝きます。
あれを見ているととても波動的な感覚がよみがえる方も多いかもしれません。「波動(=エネルギー)」というのは色と音で出来ている、という言い方もできます。虹の七色は人間の体に対応する時、チャクラの七色として取り入れ、放出され、外界とのさまざまなエネルギー反応を起こします。
音も波動そのもので、そのトーンというものは私にとって音の色調とも言えるもので、それぞれの音にとても豊かな色をもっているように感じられます。

今書いていて気づいたのですが、私はリーディングする時、実際に目でみているその人や、ヴィジョンとして見えて来る映画のような映像よりももっと信頼しているものがあります。それは「波動感覚」としか言いようがないのですが、たとえて言うならば色や音に近いかもしれません。それはさらにいろんな質感とか様々な情報を含んでいる色や音で、通常の意識ではちょっと表現しにくいものかもしれません。

それはともかく、自分のガラスの天井を認識して溶かしていく色や音を発見していくことはきっと楽しい一歩だと思います。色や音、といってもそれは単なるその意味よりは、何百、何千倍も豊かなバリエーションを持つ情報の渦だと思います。

自分には自分の方法があって、それを本当に願うかどうか、それが鍵だと思います。その願いと自分の歩みに応じて、それにふさわしいタイミングで必要なものはあなたに引き寄せられてくるはずです。。

ところで、前回の日記に書いた整体の先生の奥様から今日お礼の品が届きました。ご挨拶に伺った時、ほんの気持ちばかりをお包みしただけなのに、こんなにご丁寧にしていただいて本当に恐縮です。
添えられていたお手紙のご主人への思いを綴った言葉がとても印象的でした。

「コーヒーが大好きで、朝仕事に行く前に一時間位音楽を聴きながらいろんな話をして『うちは豊かではないけれどいい子たちが沢山いるから幸せだね』とうなずきあった日々。
息子・娘曰く
『整理整頓が上手だった父、
食べ物を粗末にしなかった父
仕事で疲れて帰ってきて、同じ事を何回きいても親身になってアドバイスしてくれた父
わかってもらうことより、わかってあげること、と一期一会の精神でね。
もっと聞きたいこと、話したいこと沢山あるけど
大好きなお父さん、おつかれさま。
また会う日まで。
私たちも必ず大きく成長していくからね。』

夫と過ごした三十年に感謝しています。」

と、書かれていました。

ガラスの天井を、越えていった人なのだな~と思いました。

だからあんなに自分の人生に悔いはないんだよ、という清々しい波動で旅立つことができたんだなぁ、と。

どこまで行けるかが問題ではないのですよね。

悔いは、残さない生き方が、いいよね、、。
ふた昔くらい前、つまり80年代から90年代にかけて、女性が男性と肩を並べて働くようになってきた頃、性別を越えて平等に働いたり出世(何かこの言葉既に懐かしい響き。。)したりできる時代になったとか言われて、その気になった女性は企業などでも頑張っていたんだけれど、ふと気がつくと、そこにはガラスの天井のようなものがあって、女性は見えなかったそのガラスの天井につっかえて苦しむのだ、というような事を言われました。

今は当時にくらべて女性も男性と同じ機会を。。!と声高らかに言うよりは女性は女性らしさを活かしながら、女性である事を楽しみながら仕事したいよね、という風潮だと思いますが、この「ガラスの天井」というのは、実は、向上を目指すどんな人の上にも立ちはだかっている気がします。それは、そこまで行ってみないとその存在に気づかない、まさに見えない天井のようなものだと思います。

たとえば、「自分らしく生きる」とか、「本当の自分を生きる」とか言われても、「自分らしい」とか「本当の自分」てどんなだか分からない人の方が多いのかもしれません。そういう人はガラスの天井の少し下にいて、とりあえず上を見えれば空があるし、上っていく気があれば上っていけそう。でも上っていく気が特になければ、このままでもそれほど不自由もしないかもしれません。

一方「本当は自分てこうなんだよな」とか「本当の自分がいるように感じているけれど、今はそれを生きていない」とか「本当は自分を変えるために今こそ何とかしたい」と感じている人は今まさにガラスの天井のところまで来ている人だと思います。

これを突き破っていくかどうかは、その人自身が自分の人生をどうしたいかという意志の問題で、いくらこの人生において様々な状況設定を生まれる前にしてきたとしても、それらの可能性をどこまでどれだけ引き寄せるかは、その人自身の思いと行動にかかっていると思います。

今、つっかえている、そのつっかかった感じ、突き破りたい感覚、どうやったら突き破れるのか、、自分はこれを越えていきたいのだ、、その思いこそがそれを突き破る原動力になっていくことと思います。

いろんな突き破り方があると思います。
力任せにガラスに体当たりして、砕けたガラスの破片が体中に突き刺さって血だらけになってでも、今すぐこれを突き破りたい人。(ちょっとイタイですけどね(^^; )
或は綿密に計画を立てて、そのガラスを切り取る電動ノコギリか何かを周到に用意して、しっかりと通路を空ける人。ずっとずっと端まで歩いていって、ガラスの天井が途絶えているところまで歩き続ける人。何かの魔法をみつけて一瞬のうちに天井を消す人。反対に自分に魔法をかけてそのガラスの天井を突き抜ける体を得る人。
ちょっと抽象的ですが、さまざまな方法があると思います。

世の中にはいろんな成功法則哲学だとか、引き寄せの法則だとか、夢をかなえる方法だとかが存在しますが、どうしてこれがある人たちには機能して、ある人たちには機能しないのか、その違いは何なのかといえば、それは各自に抱えている問題が違うからで、まさに自分のガラスの天井がどんなものなのか、分かっていなければそれを解決することは出来ないのだと思います。

平たくいうと、自分を知る事なくしてどんな問題も本当には解決しないのかもしれないし、どんな夢も本当には実現したとは言いがたいのかもしれません。自分のことは分かっているし、どうすればいいかも分かってはいるけれど、それがなかなか出来ないんだという人がいますが、それははっきり言って分かり方がまだまだ甘いんだと思います。

こんな事をいうと、相当苦労しなければいけないような印象を与えるかもしれないですが、そんな事はなくて、それは観念の問題なのでその観念を変えることが出来ればいろいろと楽に解決する事が可能です。
この観念というのもクセもので、自分がその観念にどっぷり浸かっている時は、そういう観念にハマッているのだという事すら認識できません。だから自分がそういったいろんなジャマくさい観念に自分の人生を左右され、翻弄されているのだ、という事をまず認識する事からだと思います。これは一人ではなかなか出来なくて(伝統的な修行は一人でするものが多く、途方もなく時間がかかります)、他の人々の存在というのがとても自分を助けてくれます。他の人が助けてくれるといっても、他の人から教えてもらった事をそのまま鵜呑みにする事とは違います。他の人との接触や交流を通して自分で気づくということです。気づきというのは、自分で気づくからこそ「気づき」です。ご縁のある人の場合、その人たちが強烈な学びを与えてくれる事も多いものです。人生のトラブル、さまざまな厄介ごとも、まさにこのために存在するといっても過言ではないと思います。これからは、これらをいかにシンプルに減らしていくか、そしていちいちすごい痛い思いとか、大変な努力をしなくても、思ったことが現実となって叶っていくような、そういう脳を創っていくことだと思います。

「ガラスの天井」という言葉を思い出してから、それを溶かすものとして一緒にきたインスピレーションは「プリズムの七色の光」でした。
プリズムや水晶などに光を当てると七色の光が輝きます。
あれを見ているととても波動的な感覚がよみがえる方も多いかもしれません。「波動(=エネルギー)」というのは色と音で出来ている、という言い方もできます。虹の七色は人間の体に対応する時、チャクラの七色として取り入れ、放出され、外界とのさまざまなエネルギー反応を起こします。
音も波動そのもので、そのトーンというものは私にとって音の色調とも言えるもので、それぞれの音にとても豊かな色をもっているように感じられます。

今書いていて気づいたのですが、私はリーディングする時、実際に目でみているその人や、ヴィジョンとして見えて来る映画のような映像よりももっと信頼しているものがあります。それは「波動感覚」としか言いようがないのですが、たとえて言うならば色や音に近いかもしれません。それはさらにいろんな質感とか様々な情報を含んでいる色や音で、通常の意識ではちょっと表現しにくいものかもしれません。

それはともかく、自分のガラスの天井を認識して溶かしていく色や音を発見していくことはきっと楽しい一歩だと思います。色や音、といってもそれは単なるその意味よりは、何百、何千倍も豊かなバリエーションを持つ情報の渦だと思います。

自分には自分の方法があって、それを本当に願うかどうか、それが鍵だと思います。その願いと自分の歩みに応じて、それにふさわしいタイミングで必要なものはあなたに引き寄せられてくるはずです。。

ところで、前回の日記に書いた整体の先生の奥様から今日お礼の品が届きました。ご挨拶に伺った時、ほんの気持ちばかりをお包みしただけなのに、こんなにご丁寧にしていただいて本当に恐縮です。
添えられていたお手紙のご主人への思いを綴った言葉がとても印象的でした。

「コーヒーが大好きで、朝仕事に行く前に一時間位音楽を聴きながらいろんな話をして『うちは豊かではないけれどいい子たちが沢山いるから幸せだね』とうなずきあった日々。
息子・娘曰く
『整理整頓が上手だった父、
食べ物を粗末にしなかった父
仕事で疲れて帰ってきて、同じ事を何回きいても親身になってアドバイスしてくれた父
わかってもらうことより、わかってあげること、と一期一会の精神でね。
もっと聞きたいこと、話したいこと沢山あるけど
大好きなお父さん、おつかれさま。
また会う日まで。
私たちも必ず大きく成長していくからね。』

夫と過ごした三十年に感謝しています。」

と、書かれていました。

ガラスの天井を、越えていった人なのだな~と思いました。

だからあんなに自分の人生に悔いはないんだよ、という清々しい波動で旅立つことができたんだなぁ、と。

どこまで行けるかが問題ではないのですよね。

悔いは、残さない生き方が、いいよね、、。